赤銅色のまま消え入りそうなわが碑文
異民族慰霊のつどいが終わればようやく私の一年がはじまる。本日よりようやく訪れた3、4、5日の連休は<出雲>の更なるディープ・ラーニングと松岡正剛の『国家と「私」の行方』2巻、三浦佑之の『古代ヤポネシア表通りを行く』にはじまり船山信次の『毒が変えた天平時代』、浮世博史の『宗教で読み解く日本史』をベースに、律令国家完成期の我が国に焦点を当てたイメージ固めに費やしたい。それと並行して必読書のスラボイ・ジジェクの『パンデミック』2巻とマルクス・ガブリエルの『新実存主義』が控えており、読んだ尻から忘れていくボケ老人にはいささか荷が重いがメモをとりながら読み進めたい。
慰霊祭明けの新月の日曜日は、そのため本棚の総入れ替えを行った。
①我が国の歴史と文化のルーツであるきのこ目の古代史と加えて孤独なきのこ大国・ロシアの文化史集成。
②短詩型をも含めたきのこ文学集成。
③ジャズよりはじまったきのこと熱帯音楽集成。
④生命誌を中心に据えたきのこの自然科学集成。
⑤それらを総合化するきのこの哲学的方法。
いずれも<きのこ>につながる私的な雑学ネットワークに的を絞った5つのジャンル。これが残された私の時間のすべてとなる。
大輪のハマナスちゃん
この雑学の極みの私の日常を、松岡正剛の編集工学的手法がかろうじて統制のとれたものにしてくれるはずだ。
今年は、何としても奈良時代に顕在化した大きな闇の勢力の物語に着手したい。
「夜の顔不思議な俳句会」の短詩型文学方面でも澤山・村上両名に加えて米岡という逸材を得て充実期を迎えつつある。
道草を楽しんでいる間に、気がつけば、老いさらばえてしまったが、残された時間さらに道草人生を重ねながらどれだけ下降しうるかに賭けてみたい。