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カテゴリ:きのこ目の日本史
3月下旬の出雲は花ごよみでいえばみやまかたばみの花いわゆるオキザリス(Oxalis)の仲間で満ち満ちていた。われわれの近辺で見かける花かたばみは黄色をしているが出雲のそれはすべて白色のミヤマカタバミだった。 熊野大社上之宮、佐太神社、スサノオの諸社。どこへ行っても大勢で出迎えてくれたのがこの花だった。それだけに印象深いものがあった。 今、読み始めている三浦佑之の『「海の民」の日本神話』によれば、北九州から山陰、丹後、若狭、北陸、新潟、山形から青森までの日本海沿岸は古代文化の最先進地帯。それを氏は古代ヤポネシア表通りと名付けている。 私はこれまでの踏査からこのヤポネシア表通りを代表する花木、いいかえれば古代我が国の海の民の足跡は、出雲の八重垣神社や若狭小浜の白石神社にみられた椿にあることを確認してきた。おそらく小浜に伝わる八百比丘尼のような巫女や巫覡の徒が古代メディアの担い手となりさまざまな伝承を口伝えに伝えていったのであろう。そしてこの椿の花は、八重垣神社もかってはそうであったと想像されるが白椿であろう。 白石神社といい、中世の広報担当の役割を果たした白拍子となぜか白で共通していることも意味がありそうだ。若狭地方や琵琶湖北部には新羅や白がつく神社が実に多い。 これは、宇佐神宮と出雲大社でのお詣りの際のかしわ手が4柏手(死=幽)であることとも関連しているのであろう。 高天原系神社の柏手は2柏手(現世=顕)であることと対照的である。死にまつわるかしわ手が4柏手であるとすると護国神社のそれは4かしわ手でなければならないが、護国神社の慰霊祭では2柏手である。ここにはおそらく顕・幽以上の深い意味が隠されているのであろう。 山口親子が丹生都姫の本拠地で見つけてくれたツバキノキンカクチャワンタケ 観光スポット化した出雲の神域では、椿の植え込みの下は丁寧に掃き清められており、ツバキノキンカクチャワンタケの発生するいとまはないと見たが、このきのこがヤポネシア表通りの秘密を握っていると確信した。 きのこの声に耳傾ける旅はさらに続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年05月04日 09時38分09秒
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