真冬にひっそりと咲く枇杷の白い花の奥ゆかしい美しさに気づく人は少ない。田原本町で出会った枇杷の木は、その花そっくりの実をつけはじめていた。
この青枇杷の実を見ていてふと、マルクス・ガブリエルの新実存主義をすでに1996年に先取りしていたのが松岡正剛だったのではないかと思いつき、帰ってからまたまた彼の『知の編集工学』を検証的に読み返しはじめている。彼が1990年代に出会ったニューロ・コンピューター理論では、人間の頭脳へのアプローチに決定的に欠如していると指摘した「思考には必ず伴うという<場>のイメージ」すなわち<舞台の設定>に従って、改めてノートを取りながら対話的に読み返し始めると、まさにその凄さが実感できる。
私の読書というものをここで根底から覆してすべてのジャンルで再構築を始めるしかない。
松岡正剛の『国家と「私」の行方』を読破して、晴れてわが精神年齢は18歳になったと喜んだ途端のボディブロー。青枇杷の季節にわが寄り道の人生すごろくをまたまた振り出しに戻すのは辛いものがあるが致し方ない。
しかし、第140回を迎えネクスト・ステージへと大旋回を始めた「夜の顔不思議な俳句会」にも、第40号を迎え、いよいよ<きのこと地球を考える>本来の主張をスタートできる冊子としての端緒を掴んだ「月のしずく」にも、即刻取り入れることのできる数々の遊びの方法を実践できるに至ったことをせめてもの喜びとするしかない。