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カテゴリ:マダラーノフの独り言
随分と長く親しんできて、いつも心に何か訴えてくるもの。たとえば、この地蔵の絵。豊中の「アトリエ草(そう)」にいつも飾られているものだが、画廊オーナーの8歳の娘さんの作品で、その由来をはじめて聞いて心にひっかかってきた理由に気づいた。そのわけはいわない。 さらに、読書では随分読みふけってきたと自負してきた松岡正剛さんだが今回再び精読をはじめて、結局何も理解していないことに気づいたのもそのひとつだ。 彼との出会いは、我が国平安期の仏教界のスーパー・スターに想を得た『空海の夢』に始まる。以来、幾多の著書を遍歴してきたが、凄いの一言に尽きる。 この書が、彼が<遊>の工作舎を離れて初の書下ろしであったということも今回はじめて知った。こんなことすら読み飛ばしてきたのだ。 <自己>とか<自我>とかいうものを無限に崩し、無化しつつ、たぐいまれな方法をその都度、開発し書き流していく見事な生きざま。 彼は、すでに<意味の場>のダイナミックな相そのものの中に人間存在のかけらがあるとするマルクス・ガブリエルを80年代半ばにはすでに超えていたことにようやくやっと気が付いた。打ちのめされる日々。せめてもの救いはまた再起可能な時期に気づかされたことくらいであろう。そんな自分をどう再起させるかをしばらく見つめて行こう。その淵源は、すでに彼の『空海の夢』に発していたのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年05月20日 08時53分00秒
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