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カテゴリ:きのこ目の日本史
三田市郊外の農村部をめぐる愉しみのひとつは、この有馬富士の四季の風景を眺めることにある。 徳川の世になり外様大名の熊野水軍の雄・九鬼家は陸封されて三田と綾部藩に分封された。明治になって白洲次郎を生んだ進取の気風に富んだ盆地の小邑である。猪名川とならび京都の奥座敷として都とのつながりの濃い三田は、いにしえより多くの歌人によって和歌に詠みこまれた羽束山とならんで有馬富士が裾野を広げている。この山は角山と呼ばれて盆地の人々に愛されてきた。角(つの)といえば、敦賀のツヌガアラヒトや常陸風土記の角の生えた蛇がただちに思い起こされる。蛇身にたとえられた異形の人たちの系譜である。 異形の生物・きのこに親しんできた私も、そろそろその友誼の数々を形にすべき時が近づいているように思える。<きのこ目の日本史>。まずは角のある人たちの古代史からはじめよう。 きのこを突き放し、その上できのこと不即不離の関係を保とうと呼びかけた『月のしずく』もいよいよ40号。節目の時を迎えている。誌面刷新の意味も込めて、残された時間をT・T・K、すなわちThrough The Kinoko(= きのこを通して)ということの本意を探り形にすることに捧げたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年06月03日 08時13分04秒
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