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夢みるきのこ

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2022年06月10日
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 私たち日本人にとって般若経といえば『般若心経』か『金剛般若経』くらいしか思い浮かぶことはないだろうが、般若経は紀元前1世紀頃から南インドでつくられはじめ、それから千年くらいの間に作られた膨大な般若経典群の総称である。インドではなに事も天文学的数字がふさわしい人間の営みがこめられている。
BC100年~AD100年が基本経典の成立期。
AD100~300年あたりまではその基本経典の内容を改訂
増幅を繰り返し巻を大部にした増広期。
AD300~500年頃にかけては短縮形や詩頌形が試みられ、般若心経や金剛般若経などはこの時期のものである。
以後の600~1200年あたりが密教期とされ、内容が密教化されていったとされる。
 私たちが目を通すことのできる般若心経が浜の真砂の1粒にも相当しえないほど卑小なものなのである。だからといってそのダイジェスト版の「心経」が価値がないということは全くない。
 和歌が俳句になるまでに1000年以上かかっているから、般若経群の深化形の最たるものが般若心経なのだ。自己薬籠中のものとするには一言で足りるとする心性が人であるかぎり誰にもある。
 その心経を千回以上書き深めて、心に去来した思いの丈を跡づける思いそのものがこの個展であったと受け止めている。


 うすずみで般若心経を重ね描きした作品にはまだ未練、我執がたゆたっているが、それは細部をみれば、文字が溶解してはいるものの何か別の表象を生み始めている。

 焼き鳥のスズメのような文様が何かを訴えかけているのがみえるだろうか。書く、あるいは描くという行為はどこまでいっても未練が残る。鑑賞者も思わずそうした表象にすがりつきたくなるのだ。

 そこで行き着いた作品が文字通り水墨で描かれた以下の作品である。ここでようやく膨大な般若経群と出会う数歩手前までたどり着いた感がある。

 人間のいとなみ、すなわちアートとは、シーツのしわ、トイレペーパーの商品化を台無しにしてしまうしわというところか。
 私には「あっ、今日帰ったら明日着ていくシャツにアイロンを当てねば」…こんなことを思い起こさせるひとときでもあった。

    
 湖水や青田をわたる風でしかなかった私。インドの哲学者たちが般若経群に取り組み試行錯誤してとらええた「空」とはそんなものだろう。自分と外界を無縁のものとして隔てる深渕をのぞく行為こそが空の空たる所以なのだから。

​ ここから本当に風そのものになるにはまだまだ光年的時間の流れが必要だということを思い知らされた。それがすなわちこの久々に面白かった個展での私の印象である。 






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最終更新日  2022年06月10日 12時27分23秒
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