平島謙二さんとは、二十歳を過ぎた頃出会って、小豆島に1泊で魚釣りに行ったり、ジャズ喫茶を夜通しはしごしたり、彼がふらっと自宅を訪ねてきた折には、そのまま娘のあきちゃんを連れて午後10時を過ぎていたが甲山に登ったりと、青春時代を音楽三昧でともに過ごした。
やがて、Round about Midnightともいうべき徘徊の日々から、さまざまな構想が生まれて来て、フロマージュ・クロでのオープニング・パーティーやレストラン今鶴でのディナー・ショー、宝塚ベガホールでの浅岡夫妻の協力を得てロシアとブラジルの音楽と詩による「プーシキンとヴィラ・ロボスの夕べ」、県立有馬富士公園での「夢・自然・きのこの祭」などでの音楽イベントに花開いていった。
今回のコンサートは、毎年の恒例であった演奏会だったが、コロナで2年間のブランクを経て開かれたもので、本人にとっても満を持しての催しであったことは言うまでもない。
当夜の演奏曲目も半世紀以上にわたって彼から私的、公的に百回以上聴かされてきたものだが、第一部はミランの「パバーヌ」、ラモーの「メヌエット」など、新しい試みからスタートし、彼の本領であるバッハの「ブーレ」、「ジーク」、「ガボット」へとつなぎ、ソルの「魔笛による主題と変奏」、ターレガの「ラグリマ」そして「アルハンブラの思い出」で締めた。
若いころは、毎回の演奏会では古典ギター曲への新解釈を披露する姿勢が強かったので、今回は全体にテンポを落として、運指にも変化が目立ったのでまた例の挑戦がはじまったかと思ったが、それはまもなく、加齢による奏法の意識的な変更であることが了解された。
いささか耳障りだった彼独特の癖である謙二節も相変わらず挿入されてはいたがやや洗練されていて、この2年間のブランクの時期に彼は生涯現役演奏家としてあり続けるための周到な奏法の改変を断行したものと理解できた。その演奏家魂には凄いものがある。
コロナを逆手にとって見事によみがえった彼の姿がここにはあった。
第二部は、序破急の急へと移行する直前に私の大好きなブロウエルの「11月のある日」を、よく歌うテオドル・ピアス作のギターでこれまた最高の演奏を聞かせてくれた。
そして、コンサートの酉(とり)は、なんといってもこれを弾かせては彼の右に出るものはいないと称されるアルベニスの「アストリアス」。
これは数百回聴かされてきたが、まさに古稀から八十路へと向かう折り返し点に立ったギター弾きのこれからを示すもので「平島謙二、健在なり」を高らかに宣言するにふさわしいものであった。
平島ギター教室で出会いたちまち意気投合したやはり50年来の友人の恩田優くん、プーシキン研究家の浅岡宣彦、声楽家の浅岡素子夫妻とも元気な姿で再会できたのもこのコンサートならではの贈り物。
さらに生きて世にはばかるための勇気を賜った夕べであった。
ただ、共通の友人でありもっとも親しく青春を謳歌した森崎恭範だけがこの場に居合わせないのだけが不思議でならなかったが…。