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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
広島の種子 われわれと同世代の戦後生まれの列島に生きた太田が振り返った戦後はまず、被爆地広島から始まった。彼は被爆地のあえかな明日を約束する植物の種子に注目し集め始める。この手法は阪神・淡路大震災の被災地での日々には、刻々告げられる被害状況の新聞の切り抜きを背景にしたものに発展していく。 博物誌(Natural History)とArtの出会いという手法の発見である。 阪神淡路大震災の際の種子は大壁面一杯(左壁面)に新聞の記事を背景に記録された。 状況が違えば、緑世界の中をきりきりらせんを描いて散りゆくかえでの種子もこうして封印されていた。 ついで、太田の関心は、中国残留孤児から消息不明のまま戦後40年以上を経てなお尋ね人を探す出征兵士の肖像や長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」に寄託・展示されている学生の肖像と作品に目を向けていく。 中国残留孤児ポートレート 出征兵士の肖像 「無言館」の戦没画学生の肖像 戦没画学生の作品 年端のいかぬ出征兵士の作品に恋人や新妻の肖像画が多いのはなんとも痛ましい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年09月20日 22時03分30秒
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