夢みるきのこ
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美術館を後にして日常に立ち帰ってくると、夕べの空にひと刷けで描かれた秋の飛行機雲が上層を流れる風によって淡々とその形を失っていくさまが見てとれた。 かって、「文学は飢えた子供に有効か」という論争がフランス実存主義作家の間で取沙汰されたことがあった。それは「アートは、果たして度重なる天災・人災に有効か。さらに戦争には…」という問いに重なる。悲惨な現実はその当事者だけにしかわからないのはウクライナを他岸の火事として見てあれこれ有識者が将棋の竜王戦を見るように解説している風景に重なる。 真実、アートも文学もなにもかも全く非力なのだ。「つなぐよ子に」とのCMに誘われてユネスコに寄付すれば良心の呵責から逃れられるものでは決してないし、ライブやアート展での収益を支援団体に寄付すればすむものでもない。では持たざる者は他者を常に見殺しにするといった意味で存在的には犯罪者でしかないのか。 非力なアートや限りなく無意味に近い文学にかかわるものは、あまりにも非力だと無力感に打ちひじかれそうになりながらも、それぞれの現実と他者に向き合い、その事件の根源へ向かわざるをえない。それがアーティストであり文学者であるのだ。 他者に対して常に了解不能な閉ざされた空間に封じ込められているのが我々人間なのだ。 可部のおにぎり 広島土砂災害の折には農家から水没した稲田の稲を譲り受けた。それを粉砕しすべてを真砂土にまぜてつくったおにぎりを作品として残している。今回のアート展でもワークショップとしてこのおにぎりづくりを参加者に実践してもらったという。 瓦礫シェアプロジェクト 東日本大震災では、漂流木材瓦礫をあつめてペーパーウェイトを制作・販売。その収益を宮城県の震災孤児と遺児を支援する基金に全額寄付したという。 浜辺の情景 この集合写真は、東日本大震災の1年後、石巻駅から海へ向かう途中に太田によって切り取られた風景である。瓦礫が取り除かれて痛々しい素顔をさらけ出した朝ぼらけの町の姿である。 浜辺の情景 部分 美術館を出て大空を仰ぎながらの帰宅の途次、私は千々に乱れ行く飛行機雲の軌跡を眺めていた。 すべては走り去る車の窓を擦過する風景でしかない。我々の記憶を奮い起こし持続する志を保つためには繰り返しアートへと向かう行為にすがるほかない。アートの真実とは作り手にとっても受け取り手にとっても、それ以上のものでは決してありえないのだ。
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