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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
梅雨去るとき全き円の茸立つ 西東三鬼 太田三郎展で面白いものを見つけた。 津山の同郷の俳人の西東三鬼をふとしたきっかけで知り、彼の作品を脳裏において撮りためた写真をいわゆる写俳展のような形で西東三鬼生誕120年記念に「三鬼と三郎」として展示会を行ったという。その時のPOST CARDをミュージアムショップでみつけて数点買い求めた。 三鬼は山口誓子の「天狼」に拠って俳句の可能性をラジカルに追及し現代俳句の一時代を画した作家である。 冒頭の太田が撮影したきのこは、列島の梅雨時、湿度気温ともに上昇しはじめると町中の路側帯や公園に顔をのぞかせる傘の裏が成長すると赤みを帯びるコカラカサタケ Macrolepiota neomastoides である。通称ドクカラカサタケともいわれ、似た形で傘の裏が成長につれて緑青色になるオオシロカラカサタケ Chlorophyllum molybdites ほどの致命的な毒性はないが、消化器系に作用する毒キノコである。まさに三鬼の梅雨去る時の季節にぴったりな全きつぶらのきのこにふさわしい図像である。 露人ワシコフ叫びて柘榴打ち落とす 西東三鬼 いずれも三鬼を代表する俳句だが、この句は神戸の異人館のある山本通りに住んでいた頃隣家に住んでいたワシコフさんの日常の機微をとらえたほほえましい作品である。 広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼 こちらは被爆地ヒロシマを戦後まもなく訪れた時の印象である。広島、冷えたゆで卵の生々しさ、生きんがためのやるせない行為としての食事。 被爆地で受けた強烈な印象をそこに腰を下ろして昼食を摂ったときのさりげない行為を三つの言葉だけで書き留めて、その繰り返してはならない惨劇に余りに非力な自分を副わせた。現実ばなれした惨劇に言葉を失った彼の心の動きが見事にとらえられていて私の大好きな俳句である。 広島、長崎以降の数度に及ぶ被ばく体験。福島のいまだに去らない悪夢。汚染水の処理さえままならないのにそれでも原発を再稼働し、プラント輸出を技術立国、資源の乏しい島国の国是として精力的に続ける日本の政財界の人たちは、しっかりと自分の過去をふりかえるべきであろう。 黒蝶となり青沼にくつがえる 西東三鬼 黒蝶をおはぐろトンボに置き換えているがそれがかえって写俳の味を深めている。こられの写真はすべて太田三郎の撮影したものである。 BBミュージアムでのおまけとしてここの掲載しておく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年09月20日 21時14分43秒
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