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カテゴリ:きのこ目の日本史
淡路島北西部の斗の内地区の育波芸術祭を訪ねたもうひとつの理由は、同島・北東部にある佐野の小井の清水を探し当てることにあった。 伊弉諾神社からは淡路名物のたこせんべいの里も近い。 佐野港と茅渟の海(大阪湾)を隔てた泉佐野にある佐野の地は、神武の幼少名の狭野尊(さののみこと)と関連があるとされ、神武東征が淡路から紀淡海峡を横断して紀の川を遡行した根拠となる土地柄である。 さらに、夕日のつくる樹影が淡路まで届いたという高木を伐ってつくった早船の枯野でこの清水を汲み、朝夕二回北淡の佐野から河内の仁徳天皇の宮居まで届けたと言うのがこの小井(御井)の名をとどめる清水なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年10月07日 15時27分25秒
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