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2022年10月07日
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カテゴリ:きのこ目の日本史

 淡路島北西部の斗の内地区の育波芸術祭を訪ねたもうひとつの理由は、同島・北東部にある佐野の小井の清水を探し当てることにあった。
​​ ​伊弉諾神社​
 育波芸術祭のある育波港から北へ少し車で走ると、
やや老たけたコカラカサタケが散見される斗ノ内地区の河上神社があった。そこからふたたび南を目指し少し下ったところには、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が国生みの仕事を終えてお隠れになったと伝わる幽宮(かくれのみや)の伊弉諾神社がある。淡路一之宮である。上垣内氏はこのあたりのイザナギ集団こそがのちに神武天皇に比定される製鉄集団であったのではないかと述べられている。

 伊弉諾神社からは淡路名物のたこせんべいの里も近い。
 ここから伊弉諾神社の水源にあたる木曽地区の河上神社の所在をたしかめ、おなじく伊弉諾神社の南にある貴船神社にもお詣りしてきた。​​

​​

 佐野港と茅渟の海(大阪湾)を隔てた泉佐野にある佐野の地は、神武の幼少名の狭野尊(さののみこと)と関連があるとされ、神武東征が淡路から紀淡海峡を横断して紀の川を遡行した根拠となる土地柄である。​

 さらに、夕日のつくる樹影が淡路まで届いたという高木を伐ってつくった早船の枯野でこの清水を汲み、朝夕二回北淡の佐野から河内の仁徳天皇の宮居まで届けたと言うのがこの小井(御井)の名をとどめる清水なのである。


​ ​小井の清水​
 佐野地区から淡路島を横断するほそくせまい山道の中腹にその清水はあった。今も清冽な清水がほとばしる湧き水で、その下方にはため池ができるほどの水量だった。しかし、ここを訪れる人はなく荒廃し、さびれていた。​​






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最終更新日  2022年10月07日 15時27分25秒
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