妹の主人の小川清さんがみまかりました。享年95歳ですので大往生です。
この8月、ふと気になり近くに寄ったのでコーヒーが飲みたくなってということにして須磨の自宅を訪ねました。その時も、バリスタなみのコーヒーを点ててくれて歓談して帰りました。あとで聞くとすでに6月にステージ4の末期がんで方々に転移しており、余命数か月と宣告を受けていたようで、僕らが訪ねた次の日には入院したとのこと。心配をかけてはいけないということで極秘にしていたらしくその日もおくびもそんな様子はみせませんでした。橋本多佳女門下の天狼系の俳人で、油彩画の個展を度々開き、知り合ってからは小生も何度か足を運びました。その入選作となった作品や好きな作品も葬儀の場には並んでいました。
最後の最後まで気丈夫で前向きに生きていたようで自宅で最期の日を迎えたいということで2週間ほど自宅療養の末眠るように逝去しました。その2週間は母親一人では大変だろうと察して関東在住の甥の剛士くん夫婦が休暇を取り、ずっと看病してくれたおかげで安心して遠くから見守ることが出来ました。ご本人にとっては、まれにみる幸せな最期だったと思います。
順縁、逆縁と随分多くの人たちを見送ってきましたが、ついに年齢的には最先頭に立つ日がきました。妄執にまみれた私はまだくたばりそこなっていますが、それも時間が解決してくれそうで、今しばらくあがきまくろうと故人にあらためて語ってきました。
うれしいことに小川氏の母は大和は笠縫の秦楽寺の出らしく、秦氏の末裔の母方のご遺族とも知り合いになることができ、これも小川氏が引き合わせてくれたものと喜んでいます。