ギャラリーZoneとTriAngle ギャラリーぶち抜きで開催された「ランゲルハンス島の探検」橋本あやめ、「マジカル豊中ツァー」橋本修一の二人展を覗いてきた。
橋本あやめ作品展のテーマの<ランゲルハンス島>とは、すい臓の内部に島の形で散在する十二指腸へ消化液などの分泌液を送る細胞群で、80年代に現代詩や文学の世界でもてはやされた言葉である。
同姓の二人展なので夫婦か兄妹でおそらく80年代に創作活動を開始された人たちであろうと踏んで覗いた次第である。無人のスペースにかりんの実が臓器の様にさりげなく置かれていたのがなんとも愉快であった。
覗いてみると、オーナーの雅代さんから橋本修一さんを紹介された。
彼は85年から山の写真を撮りためてこられた山岳写真家だと語り、往時の作品をも展示されており説明してくれた。
私も70年なかばから85年、きのこに出会うまでの間、山の写真に入れあげていたので私と丁度入れ替わりに登場した4歳年下の写真作家さんだと知り、とても親近感を抱いたものである。
杖に頼らざるをえなくなる生活となってアルプスには登ることができなくなってからは、近郊の散歩の日々にみとめた光景を「マジカル豊中ツァー」と題してお住まいのある豊中の日常生活の中の非日常世界を見事に切り出して提示されていた。
あやめ作品は、油性マーカーにアクリル絵具というシンプルな素材で、奇想天外な線画の世界を描き出していたが、作家があがけばあがくほど、奇想天外である筈の世界がなんでもないごく普通の世界に落着するというジレンマが感じられて、その葛藤が画廊全体に溢れておりとても面白いと思った。
この世界すでに未知なものは、まったくなくなったかのように観ぜられているが、ある時ふと問い詰めて見渡せば、私たちの身の回りはもちろん、遠い地平、海坂の向こうまで、すべて知らないことばかりであるという逆説的な表現が執拗に書きつらねられており、それが自身の内なる秘密の臓器の膵臓へと還流し、個と外界(社会)を循環し続けている過程そのものを暴いている孤独な姿が看て取れた。
それは前回紹介した龍にこだわり続ける橋本健治の、五行循環の相を龍に託した「龍の変」においても共通のモチーフが示されていたなと感じた。
アートは個々の作品の訴求するものが中核を成すのは当然だが、その本質は個と世界を循環する過程そのものにあり、21世紀の地球を覆い始めたさまざまな覇権主義を流れを変え持続可能なものにする鍵は、そのことを自覚したアーティストたちがゆるやかにつながり合い、時代を先取りしたアートでその流れを創りうるかどうかにかかっていると私は考えてきた。
個々のギャラリーは、そのトレンドをつくることにこそその大きな使命があるのであり、さまざまなアートとそれを生み出す個性豊かな作家たちは、その新しい流れ(潮流)の中でこそそれぞれがジャンルを超えて認め合い、主体性を持ち、その個性を輝かせることができるのである。
この橋本修一さんは、オーナーによれば、箕面の森アートウォークのプランニング企画やデザインにも中心的な活動をされていると聞く。
サンディエゴの日本庭園ギャラリーでの個展の記録『Moisture & Light』におけるジャパネスク作品の数々。あやめさんとのコラボ『地球に落ちているものを並べるプロジェクト』『女神出現』などを次々と生み出しブックレットの形で記録にとどめておられ、久々に手ごたえのある作家との出会いに感動した。
私は民藝にどこかで回路をもつきのこアートを中心に日本文化というものをみつめてきて松岡正剛の諸著に出会ったことから、画商とのコネクションの有無やジャンルにかかわりなく、わが国のアーティストの新しい動向を持った作家たちをヘテロソフィア・アートの流れの中の1星雲として捉え、そんなアーティストたちによる新しい芸術トレンドを形成することこそが喫緊の課題だと考えてきた。わたしが<不揃いのきのこたち全員集合>という形で繰り返し開催してきた「アートするきのこたち」展は、そんなコンセプトで続けてきたものだ。
私が90年代はじめから回遊してきた画廊は、それぞれ素晴らしい作家さんたちを擁してはいるが、そんな流れを意識して統合する活動を自覚して取り組んでいる画廊はなかなか見出だすことは叶わなかった。
ところが本年に入って、このアーティストたちの活動を新しいトレンドとして位置づけようとする試みをしっかりと自覚している画廊が箕面の片隅にあつて、ここに集う作家たちの流れを<箕面の森アートウォーク>ほかで展開してきた Zone、TriAngle ギャラリーのオーナー夫妻や今回の橋本修一さんたちの活動に接するに及び、ようやく長年求めてきた人物に出会うべくして出会ったなと、とても感動を覚えた次第である。
とりわけ、この冬至に至る日々の中で橋本修一さんに出会ったことは、本年度最大の収穫であったと感じている。目下、当日買い求めた彼の作品集を精査しながらこのグラフィック・デザイナーの志向するところをワクワクしながら見つめている。