五條市の本陣あたりで紀の川から吉野川へと名前がかわる。
数年前、四国は阿波の忌部氏の史跡を訪ねて感じるところがあって、去年1年かけて、淡路島の育波からはじめて紀の川河口から遡り、丹生都姫神社を辿り、五條から吉野川へとさらにさかのぼり宇陀までやってきた。それは神武東征の真実をさぐるプロジェクトであった。次月の井光(いひか)の井戸を巡るスーパーきのこの旅でいよいよまとめの時節を迎える。
私の<きのこに聴く古代史の旅>の基調は、生物界におけるきのこをつくる菌類の役割を我が国の歴史に照らし合わせた際にまったくきのこ同様の重要な働きをしながらその実態はほとんどしられていない古代最大の氏族・秦氏の存在に気づき、その痕跡を掘り起こす旅に終始してきた。
そのきっかけは、わが国の仏教思想史への関心から、まず高野山の空海、葛城山の役小角、法隆寺の聖徳太子、山背の秦河勝、金勝山の良弁、比叡山の最澄、白山の泰澄、下賀茂社の鴨長明、神護寺の和気清麻呂、浄土宗開祖の法然、時宗開祖の一遍、そして中世の悪党の系譜につらなる能楽の観阿弥・世阿弥親子と辿ってきて、その背後に見え隠れする影がまぎれもなく秦氏たちであるとの確信を得て以来のことだ。
この国の歴史の本当の主役は名わき役に終始した渡来氏族の秦氏ではないかと考えるようになって私の道草だらけの旅ははじまった。
吉野川尻とはこのあたりだろうか…。
30年近く取り組んできて、まだまだはじまったばかりでほとんど白紙の状態であるが、そろそろ生き物としての時間が残り少なくなってきた。
今年はなんとか重い腰をあげねばならないと感じている。