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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
法隆寺の斑鳩にある風の神の龍田神社別宮は金剛座(坂戸座)の発祥の地。 桜井市外山(とび)の地は、神武東征の終着点の鳥見山があり、そのふもとの宗像神社は高市皇子を祀る。そこが宝生流の発祥の地。 結崎の寺川沿いにある面塚は、観世座発祥の地。近くに十六面という地名も残り、その隣の西竹田(川西町)にも金春屋敷跡があるという。 田原本町にある秦楽寺。この門前に金春流の金春屋敷があったとされる。 そして味間にある若き日の世阿弥の参禅の地である補厳寺。ここは大和盆地には珍しい曹洞宗の寺。しかし、既に廃寺になって久しい。 ここからほど近い物部守屋のゆかりの地・村屋(守屋)神社あたりが楽戸郷の故地とされ、四天王寺、法隆寺の楽人を輩出した。この味間という地名は、日本各地に宿や別所として残っており、かって、この場で述べたことがあるが、円満井座のルーツと思しきえのは井(えのはいざ転じてえんまいざ)のある飛鳥の向原寺(むくはらでら、こうげんじ)に止住したとされる味摩之(みまし、転じてあじま)が、各地へ散っていったことが偲ばれる。 思い立ってはその都度訪ねて来た大和から近江、京都、若狭の地は、考古学のフィールドの如く地層を一枚一枚剥がしていくように時空の積み重なりが響き合って少しずつ互いの関連が見え始めてきた。 これも道草人生ならではの愉しみである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年01月25日 12時35分49秒
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