死に損ないの酔っ払いがさまよいこんだ黄泉の国は働きバチが24時間せっせと働きづめのまるで『仏説阿彌陀経』そのままの世界で、心地よい風がたえず流れ、若くてきれいな姉ちゃんとイケメン男性が微笑みながらかしづいてくれ、おいしいごはんが3度3度出てきてともすれば娑婆世界をすっかり忘れてしまうようなところでした。3ケ月ほど経った頃、「こんなところで過ごしてると本当に病気になってしまうやん」と、余りの上げ膳、据え膳のしあわせ感に倦み浦島太郎さながらの思いに浸るまでは本当に極楽とはこういうところを言うのだろうと納得していました。
黄泉の国の食物を口にしていたものの別れに際しても皆からもとがめられずむしろ「いつでも帰っておいで」と言われてホロっとなっものでした。帰ってまずやったことは丹波篠山まで車を試し運転し、鉄作家のコンドームさんと黄泉平坂(よもつひらさか)の境の関守さんに会って極楽世界からもどってきた第一声を述べようとしましたが言葉を失っていることにこの時ようやくきづきました。「ここで見たことは決して口外してはなりませぬ」ということでしょうか。「それもまた良し」と感じながらインドネシアのその名もタブー農園のスペシャリティ珈琲マンデリンをいただきホレスシルバーの来日ライブ盤を聴いて帰路につきました。やっぱり娑婆世界は、地獄であってもぼくには住みやすいと感じた事でした。
浦島くんのように300年も経ってはいませんでしたが、75年は経ったようですのでこれから大急ぎで失われた歳月を取り返さなければなりますまい。