私がしばらく娑婆を離れる以前から、ちょつと気がかりだった高校の先輩のギャラリーオーナーのところで関係作家たちがSHIMADA de MANDALA展が開いていると言うので取る物も取り合えず駆けつけたが、休廊日でがっかり。だが幸運にもオーナーと道端でばったり出会ってことのほか元気そうで一安心、これで今日の目的はひとつクリアした。それで時間的に余裕が出来たので追谷墓地での黄泉がえりの報告をじっくり済ませることが出来た。
墓苑の桜の木からきのこたちがお帰りの挨拶をしてくれた。
雨意込めし墓苑の樹々。
60年以上毎月1,2度は顔を合わせてきた腕欠け地蔵とも「僕は左手足がご同様の身になってけれどなんとか生還したぞ」と報告をすませ、久々に墓前で線香の煙にまみれてきた。
何故、一番早く死ぬべきろくでなしの私がまたまた生きながらえてしまったのかその理由をたずねてみたが、自分で考えろと軽くあしらわれた。
霊位が一杯になって書き込む余地がなかったため、しばし猶予を得たんだと一人合点した。
元町映画館での例会の後、異民族慰霊碑にも48年目にして初めて主なき慰霊祭となってしまったお詫びのお参りも済ませた。そして神社側と友人たちがそれをカバーしてくれ盛大に斎行できた言葉に尽くせぬ感謝の思いも吐露してきた。
すべて終えて車に乗って時計を見ると九時だった。途端に土砂降りの雨。六甲を越えて自宅までの1時間ジャンジャン降って自宅手前でうそのように止んだ。
「まだ死なせてもらわなかったのには何か意味がある」そう思わせられた一日であった。