僕は高校時代は実存主義文学、二十歳代には明治以降の文学史にそって小説を読破しようと思い立ったときがあり、よく読んだものだったが、三十代以降は評論や生物楽関係の読み物に関心が移って小説は数えるほどしか読まなくなった。最近勧められて久しぶりに手にしたのが小池水音という新進作家の初心の2作を収めた新潮社から出た単行本だった。
いずれも死者をめぐっての生者の側からの果てしないこだわりと葛藤と解決の無い和解がテーマになっているが、不思議と明るい。そして文章の端々に観られるさりげない比喩がとてもその場面場面を際立たせているのにうっとりしながら読み終えた。「人間は死者の記憶とともにに生きる唯一の生物」と考えてきた私は、これまでの人生をその通りに生きてきたが、いまだに先だった者たちに「何故死んでしまったの」と繰り返し問いかけるだけに終わっている。おそらく自分がその番になる瞬間までそれ以上の展開はないとこの頃は思い始めている。この作家も応えのない問いを「これかな、それから」、と自問自答しながら孤独な日々を重ねていくのだと、読み終わって思った。
そして、読後のなんとも言えない爽涼感が小説という形式でしか味わえない醍醐味なんだと改めて感じたことだった。優れた若い作家の登場を心から喜ぶ者である。
朝ドラ「らんまん」も来週一杯で終わりになるらしい。きのこ初学の頃は、牧野さんの大のキノコ好きを思わせるエッセーを拾い読みしてにんまりしたものである。
20世紀の博物学が最後の輝きをみせた80年半ばに山登り、渓流釣り、山の写真と巡りめぐってきのこに出会い、きのこの不思議に目覚めた私はきのこの分類学を皮切りにきのこの博物学に惹かれ、きのこの彼方を目指す様々な世界の紹介に明け暮れてきた。今も『月のしずく』で細々とそれは続いている。
私は菌類におけるきのこの役割を人類に置き換えたらという問いかけからはじまって、我が国固有の天皇という存在にぶつかり、調べていくうちに秦氏という面白い渡来系の技術集団に行き着いた。まさに人類におけるきのこの役割を果たしてきた謎の群衆だった。しかもほとんどが無名。その時、きのこの彼方の世界は僕にとっては秦氏だと合点した。90年代半ば、ちょうどJ-FAS日本キノコ協会をスタートさせた頃のことである。いずれ『月のしずく』でも触れたいと思っている。
植物とは違い本来、微生物であるきのこは、目にはみえない世界の生きものを対象とする学問で、目に見えるきのこだけを対象とするきのこ学は、学問として成り立ちがたい。したがってきのこの博物学は「らんまん」の牧野さんとは全く異なるものにならざるを得ない。それはとりとめもなく広いが、きのこが根底にあればよしとすれば良い。それこそが博物学の醍醐味であろう。そこで、私はきのこの彼方の世界を多種多様に探求する人材を養成することで菌類学そのものを側面から支えることを提唱して日本キノコ協会を創った。その思いが20世紀の博物学の黄昏時を迎えた今、21世紀の新しい博物学の夜明けの中で再び精彩を帯び始めている。実にたのもしいことだ。毎朝そう思いつつ「らんまん」を観ている。
今日は、朝の散歩の途中でドクベニタケ Russula emetica に出会った。口にした人がえずくような辛さだつたと記したことから毒キノコでもないのに毒ベニタケと名付けられたかわいそうなキノコである。学名も吐き気を催すようなベニタケの意。そんなかわいそうなキノコでも、いや、そんなかわいそうなキノコだからこそ愛する人はいた。泉鏡花である。彼にとっては、ベニタケは花街のおいらんに通い合うきのこだった。