ツマグロヒョウモン
トアギャラリー
「一雨ほしいな」と思っていると、雨粒ならぬツマグロヒョウモンの若女将がご挨拶。熱帯の記憶を引きずる彼女の美しいいで立ちをみていて、ふと「きらら絵展」を思い出した。まだ間に合う。
書画展も5回目となると、それぞれが独自の境地をのぞかせ始めるので目が離せない。なんとか行ってみよう。
きらら絵の創始者としての釣秋桜
釣秋桜門下生展ということで、釣秋桜さんの作品は控え目だが、それでも埋め草の形で違和感なく点在していたのがうれしい。きらら絵の極意書めく作品が正面奥にかかげられていた。
釣秋桜「何の木の花とは知らず匂ひかな」
芭蕉の『笈の小文』の中の句。たしか、芭蕉の伊勢神宮に詣でた折の作品だったと思う。私は、書の道は不馴れなままに老いてしまったが、釣さんは繊細だが力強いかなまじりの書で芭蕉の心をこのように解釈していた。この花はいにしえの歌人・西行への挨拶句なので、西行に口裏を合わせてこう詠んだ。ちなみに西行が伊勢に詣でて詠んだ作品は「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」で、芭蕉はこの和歌に呼応する形で詠んでいるから実に心憎い。そんなこもごもをすべて含んだ上での書であろう。そこはかと匂いたつ花はだから桜。「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」西行辞世の歌がそれを物語っている。
前田典子の「今宵の月」
みずみずしさの溢れる作品で今回の作家のなかでは一番気に入りました。
安田仁子「女郎花」
重厚さを感じさせるきらら絵作品。釣さんの後を追いかける作家とみた。きらら絵と書作品を別個にあしらっているところにも作者の強い意図が見え隠れしていてほほえましい。望月に浮き上がる女郎花がとりわけ見事である。
嶋田みどりの「寸松庵色紙」
いにしえの書家の模写本が添えられていたが、大変な努力家とみた。前に立つと、気魄が漂っていて作者の作品に賭ける情熱が伝わってくる。
三浦みつ子「臨書 和漢朗詠集」
湖東の蒲生野を彷彿させる額田王の「茜さす」ではじまる有名な相聞歌。
万葉仮名と自身のかな書き作品。額田王は湿原祭祀の巫女として天武・天智に仕え、壬申の乱のあと、初期万葉集の編纂にかかわった人物だと私は思っている。額田とか額田部は、額に渦巻模様のある駿馬「額田馬」から来ているとか。湿原は稲作にも馬匹文化の牧の開拓にも共通する瑞穂の国に固有の祭祀。
とにかく、私は額田王が好きで彼女の面影を忍び、追っかけめくが湖東の雪野山から蒲生野にも足を運んだくらいだ。
軸もユニークで、漢字かなを対応させた作品。きっと額田王を思わせる才気あふれる作者なのだろう。
天智天皇は近江京からさらにこの紫野のある湖東に遷都しようと思っていたらしく数回行幸を繰り返している。そんな折の額田王とここで出会えるとは思わなかったので感激した。
真鍋美喜子「いろは唄」
変体かなを駆使した作品。行きて帰らぬ言葉を紡ぎ、五十音すべてを網羅した歌いぶりは、見事である。そんなことから空海がつくったという伝承も生まれたと言う。書も不馴れな私ではあるが見事だと思う。
やはり来てよかった。門下生たち夫々のたゆまざる深化の跡がありありと伝わってくる作品展だった。