徳川時代に陸封されて三田、綾部藩にそれぞれ移籍させられた熊野水軍の雄・九鬼藩は、大海へ還る日を夢見ながらアマゴやイワナのような丘に上げられたカッパのような生活を強いられる江戸時代を送った。その三田市は東の境を古代史の雄族・羽束師物部を想起させる宰相山(写真上・左)と羽束山(写真上・右)、その北側に大坂峠を含む山々(写真下)を擁し、さらにその北側には三田市の最高峰大船山が並ぶ。大船山は明石海峡からも望むことが出来、古来より畿内への玄関口として柿本人麻呂も石見方面から帰還した際にこの山を望みやっと畿内へ帰ってきたと安堵する歌を残している。今回の下の写真には写っていないが欄外の左(北方向)に並ぶ。この麓には宝塚の売布神社との繋がりを思わせる高売布神社があり、さらに篠山との北の境を成す小柿へと続く。植物にめちゃ詳しい森和男さんの住んでいるところだ。
三田はちょっと散歩しただけでも、そんなことを思い起こさせる楽しいところ。
大阪峠の向こうは、全盛期の摂関家藤原氏を支えた多田源氏の本拠地の猪名川が流れている。この川は、全国に広がった猪名部を名乗る物部氏とその配下の秦氏たちが5世紀頃からこの地を開発したいなべの木工(きだくみ)を輩出したところ。東大寺大仏の大仏殿建立にも大いに活躍した大工集団を育んた地でもある。
そんなことをあれこれ思いながら我が家の近くまで戻ってくると、ヒメヤママユガの♂ Rinaca jonasii が出迎えてくれた。9月~11月の比較的遅い時期に出現する大型の美しいモスラだ。