去年の三ケ日の終わりは、芭蕉の絵巻見聞に嵯峨野の福田美術館を訪れたが、今年は40年近い活動の澱を一掃することに明け暮れている。
近くの小公園ではカニあるいは毛無し毛虫の遊具がポツリと立ち尽くしている。異類塚の象徴としての<きのこ塚>の必要性を今春ほど強く思ったことはかってない。外部性、他者性、資本主義の爛熟はかっての植民地政策や異民族の利用によって無限に外部、他者を濫造することによってなされた。永遠の異邦性こそがきのこの本質であること。私は40年前よりその事に気づき、微生物・きのこと親しむ文化醸成こそが21世紀の疲弊した地球を明日へとつなぐと信じて日本キノコ協会を興した。その当時感じた予兆がことごとく現実化してきた"人新世"時代、きのこは目には見えないが実在し、われわれの生命を育んでいる微生物や異類全体の生存証明として我々に働き駆けてきたことを想う。
来年よりはじまるきのこ暦第Ⅴ期8年を人新世紀元年ととらえてNEO博物学を脱構築しながら新たな指針のもと、活動をはじめなければならない。その脱成長資本主義の担い手はこれまでの苦い経験から極く少数のアーティストでしかありえないことが判明した。したがってヘテロソフィア芸術のトレンドにどれだけアーティストたちを集めることができるかにかかっている。政治や経済から自立した想像力の深化がためされる時代、これこそがあらゆる意味で人新世時代を支える武器を捨てた戦士像だと思っている。