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2024年02月05日
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カテゴリ:きのこ目の日本史

 1975年樺太特務機関長だった亡き親父が建てた大戦殉難北方異民族慰霊碑は、ウィルタ協会事務局長田中了氏の努力で1978年2月20日刊行された本書執筆の終盤に近く、ダーヘンニェニ・ゲンダーヌ(日本名 北川源太郎)が生存してしかも北海道の網走にいることが分かったことで俄然大きな意味を帯び始めた。

 田中了氏とゲンダーヌ氏が神戸に来て慰霊祭碑に参拝されたのは、慰霊碑建立の年の1975年8月5日だったと記憶する。
 北川源太郎も田中了氏も親父も、そしてついこの前の戦争の記憶を語り得る人たちも殆どが鬼籍に入ってしまってからは戦後生まれの我々だけで極く少数の仲間と亡き親父の遺志を継いで続けてきた。戦争を知らない私たちがこの慰霊祭を行うことの意味はこの『ゲンダーヌ』に尽くされている。私も折に触れ本書を読み返してきた。今年の昭和の日は、第49年目の慰霊祭になる。
 戦争が根絶するはずだった21世紀は、その市民の思いとは真逆に地球上のいたるところ戦火にまみれはじめ、我が国も日米同盟の名のもとにキナ臭い現実が着実に進行してきている。
 改めてこの列島の片隅に同胞の慰霊のみならず異民族をも包摂した慰霊碑があることの意味を、悪しき政治主義や惨事便乗型資本主義とは無縁に打ち出していかねばならない。
 来年の慰霊祭50年度よりは異民族慰霊に加えて戦争を知らない世代に戦争の悲惨さを訴えかけるものとして生類のいのちのかけがえのなさを訴えかけていく<きのこ塚>の必要性も感じているが、その原点には本書『ゲンダーヌ』と拙著『光るきのこたちの賦』があることをここで再確認しておきたい。語り部の非在による風化を免れるためには、新たな物語が必要で、「月のしずく」でも次50号からはアーティストたちに非戦・厭戦の誓いを新たにする物語の創生を積極的に呼び掛けていきたいと感じている。





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最終更新日  2024年02月05日 14時42分08秒
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