夢みるきのこ
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主催者の(社)ラ・ネージュ代表 四方有紀さん 旧正月三が日の二日目、建国記念日当日という二つの慶事のかさなる二月十一日、京阪丹波橋駅西口すぐの京都市呉竹文化センターで伏見再発見の3年に亙るイベントの第一回公演の幕が切って落とされた。午後一時から午後五時まで、途中20分の休憩を挟むだけの長丁場だったが、伏見を舞台にした息を吞むような伝統話芸が披露され、あっという間の4時間となった。
基調講演 「なぜに伏見か?」の伏見城研究会会長 若林正博さん 伏見という土地が、江戸幕府発祥以来、家康の西国統治の要として伏見城が拠点となり、関ケ原以降の三年間は大江戸から今の東京に至る関東平野開発のモデルづくりの地となったという歴史の深層を平明な語り口で解説。のっけから期待に胸膨らませる基調講演であった。
呉竹文化センターのメインホール この広い会場で本来、膝と膝突き合わせて観客と一体感になって演じる話芸をどう披露するのかも見どころであったが、それを実にうまくカバーできるのが呉竹ホールであり、ここを選んだ四方さんの炯眼には驚いた。 ご覧のように話芸を披露するにはおよそ似つかわしくないホールで一挙に観客との隔たりをなくしてしまう工夫は、演者においても憎らしいほどなされていて、それがプロ中のプロを選りすぐった理由であったことも、ただちに理解された。すべてはラ・ネージュにおいて実験済みのことだったのだ。 当日の司会進行には、KBS京都ラジオ、FM大阪や地元伏見のFM845でレギュラー・パーソナリティを務める対馬京子さんを起用したことも身内で固める発表会の弊を踏襲しておらず「いっそセレナーデ」ならぬ、一層心地良く感じた次第である。 神田京子さんの講談「鳥羽伏見の戦いと錦の御旗」 幕間の20分の休憩には、(社)先端イメージング工学研究所井手亜里さんほかによるデジタル技術を駆使して「仁和寺」蔵の幕末維新絵巻を復元、VRとレプリカでみせるホール脇の創造活動室と林サヨコさんのキルト作品による「伏見の風景」を巡って再びホールへ帰ってくると、Ⅱ部の開始を告げるアナウンスに加えて撮影禁止が付言されていたので、Ⅱ部からの盛り上がりの図像はおみせできなくなったのが誠に残念。 一部の画廊や作家作品でもそうだが、デジタル・テクノロジーが世を覆う時代に著作権を持ち出して非営利で善意の図像をとやかくいうことにどれほどの意味があるかは疑問だが、公共施設のセンターの規則なのだろうが<郷に入ればなんとやら>の精神で控えさせていただいた。 しかし、二部の春野恵子さんの浪曲「袈裟と盛遠」は、子供の頃よくラジオから流れていた蜂ぶどう酒提供の<浪曲アワー>の浪花節とは打って変わって、目からウロコの連続であった。さらに度肝をぬかれたのは曲師の一風亭初月(いっぷうていはづき)さんの緩急自在の撥さばきで、たちどころにファンになってしまった。三味線の独奏や合奏は随分聴いてきたが、こんな総アドリブの三絃が今もって息づいていることには正直驚いた。私は中学時代の2年間余り都山流の尺八にのめり込んだことがあったが気鋭の尺八奏者・藤原道山同様、春野恵子と初月さんには心底魅せられてしまった。 そしてトリを務めたのはザコバの一番弟子、桂都丸(かつらとまる)改め、桂塩鯛(かつらしおだい)の「三十石夢の通い路」。そろそろ、ずる寝をと決め込んでいた私を寝させてくれない熱演ぶりで、近々復元されるらしい浪速の天満まで乗せてくれる三十石船に乗って一杯やりながら川下りしたい気持ちになった。 この日、私の行く先々で満開の時を迎えている山茶花の紅の花弁が絶え間なく降り注ぐ小路を一気に駆け抜けたようなかけがえのないひとときを賜って、帰りの電車では爆睡できたが、京・浪速・大和のスクランブル交差点である上方文化の粋を集めた伏見の文化を再創造する試み、今後が楽しみである。まずは最初の一歩の大成功おめでとうございます。
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