ちょっと背伸びの民衆史のために
空海についてはすでに生前に読み切れないほどの書物を蔵しているが、もう一方の天台密教の雄・最澄に関しては蔵書が数えるほどしかないことが昨日一日かかって気が付いた。 資質の違いはあっても、我が国の宗教文化を理解するうえで最澄も比較検討すべきことが喫緊の課題となった今、最澄の動向も共有することにした。これが満たされれば平安期までの基礎資料はほぼすべて出揃うことになるのでこれから最終検討を入る。 余命を考えるとインプットとアウトプットを同時進行させる必要があり、来春からの課題として早急に克服しなければ。到底法然、親鸞、観阿弥、世阿弥、そして蕪村までたどり着けない。なんとしても蕪村の掘り起こしまでは生きている間にたどり着きたいものである。ちょっと背伸びの庶民の、庶民による、庶民のための芸術史はそれではじめて完結する。