安房神社
小塚大師の後は母様の希望により、近くの安房神社に寄りました。
特別な日ではないにもかかわらず参拝されている方が大勢いらっしゃいました。大型バスが何台も並んでいたりして…驚きの人気ぶりです。
冬木立に囲まれた社殿も趣があってよいものです。
『安房神社』
安房の国一宮。
「古語拾遺」や「先代旧事本紀」といった書物によれば、安房神社の始まりは2660年以上前にさかのるという。
現在下の宮に祀られている天富命は、神武天皇の勅命により四国・阿波徳島の忌部一族を率い肥沃な土地を求めて旅立つこととなり、海路黒潮にのり房総南端のこの地に到着した。
そして上総・下総に進み麻や穀(かじ…紙の原料)といった植物を播殖して、その産業地域を広げていった。
開拓を終えた天富命は、無事成し遂げられたのも祖先の御加護によるものだと考え、祖父にあたる天太玉命をお祀りして、祖先の恵みに感謝したのである。
「安房忌部家系之図」によれば、元正天皇の養老元年(717)に現在の場所へと天太玉命を奉斎し、同時に天富命も下の宮に祀ったという。
上の宮の御祭神である天太玉命は、天照大神のそば近く重臣として奉仕し、天照大神が天岩戸にお隠れになった時には、中臣氏の祖神・天児屋根命とともに大神の出御のために活躍した神である。
また子孫にものを作る技術に長たけた神が多くいたことから、産業の総祖神としてその神徳を世に顕している。
「安房国一の宮 安房神社 略記より」
天太玉命は、『古事記』では「布刀玉命」、『日本書紀』には「太玉命」とある。
阿波忌部の系図によると天太玉命は、高木の神とも云われる高皇産霊神の子とされています。
また后神の天比理さんは阿波忌部の祖神である天日鷲(お酉さま)と兄弟神。
忌部一族は天太玉命を祖神とし、各地に別れ宮廷祭祀に必要な物を作り納める諸族を持っていた。
手置帆負命を祖神とする「讃岐忌部」は、御笠、矛、盾を造り納め、
彦狭知命を祖神とする「紀伊忌部」は、木材を調達し造殿の役割を持つ。
櫛明玉命を祖神とする「出雲忌部」は、玉を貢納する役割を持ち、
天目一箇命を祖神とする「筑紫・伊勢忌部」は、刀・斧・鉄や鐸・鏡を納める役目を持っていた。
天日鷲命を祖神とする「阿波忌部」は、麻や木綿などの布を納める役目を持ち…現在も大甞祭に際しては阿波忌部の直系子孫が大役を担い、現在に至っている。
~古の「古語拾遺」の記憶~より
忌部に関してはきりがなくなるのでここでストップ!