ヨハネス・ベルター大尉(Johannes Bölter)は、第502重戦車大隊のティーガーエースの一人である。
139輌(144輌の説もある)の敵戦車を撃破したとされる。
第502重戦車大隊には、敵戦車150輌以上を撃破したオットー・カリウスがいる。
ヨハネス・ベルターはクルト・クニスペル、オットー・カリウスに次いで敵戦車撃破数三番目の記録を持つ。
138輌撃破したミハエル・ヴィットマンより1輌~5輌多い撃破数となる。
1944年4月7日、プスコフ南部の戦闘でベルターのティーガーⅠは、一回の戦闘でソビエト軍戦車15輌を撃破して、アドルフ・ヒトラーより柏葉付騎士鉄十字章を授与される。
1944年8月19日の戦闘で負傷した後は、戦車下士官学校の教官となり終戦を迎える。
ベルターは戦争中に実に7回負傷しており、戦傷章も授与されている。
戦後は東ドイツに居住していたが、戦争中の戦功からソビエトによる報復的な扱いを受け、妻と娘を連れて西ドイツに脱出した。
西ドイツでは、生まれ故郷のミュルハイム・アン・デア・ルールに定住しラインニッシェ レーレンヴェルケ社に入社し定年まで勤め、1987年9月16日に72歳で亡くなる。
弾薬補給中のヨハネス・ベルターのティーガー
ティーガーのキューポラから顔を出すヨハネス・ベルター(最終階級大尉)
Johannes Bölter
ヨハネス・ベルター(最終階級大尉)Johannes Bölter
ヨハネス・ベルター(最終階級大尉)Johannes Bölter
ヨハネス・ベルター(最終階級大尉)Johannes Bölter
ヨハネス・ベルター(最終階級大尉)Johannes Bölter
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