テーマ:政治について(20090)
カテゴリ:政治
俳優の佐藤浩市が、
映画に登場する総理大臣を「下痢体質」の設定に変えさせた件について、 作家を自称する百田とかいう禿げ頭がたいそう怒ってるそうです。 佐藤浩市の意図はよく分かりませんが、 たしかに安倍晋三を揶揄した可能性はあるのでしょう。 しかし、 それはそれとして、 佐藤浩市が「潰瘍性大腸炎の患者一般」を揶揄したなどという百田の解釈は、 いかにすれば可能なのでしょうか? あまりにも無理のある言いがかりです。 曲がりなりにも作家を自称する人間が、 世間にむかって、こんなありえない曲解を披露できるものでしょうか? どんなふうに頭を捻じ曲げてみても、 「佐藤浩市が潰瘍性大腸炎の患者一般を揶揄した」などとは考えられません。 ◇ まあ、百歩譲って、 さすがに「潰瘍性大腸炎患者一般」を揶揄したのではないにしても、 佐藤浩市が、安倍晋三個人を揶揄した可能性はあるのでしょう。 しかしながら、 時の首相を「下痢野郎」とバカにすることのいったい何が悪いのでしょう? 曲がりなりにも作家を自称する人間が、 その程度の「表現の自由」を容認できないなど、本気でありえるのでしょうか? ほんとうにコイツは本を書いたことがあるのでしょうか? ◇ ちなみに見城徹とかいう脂ぎった文芸編集屋は、 はたして百田とつるんでるのかどうか知りませんが、 今回の佐藤浩市の発言を受けて、 「観たいと思っていた映画だけど観るのをやめた」とのたまってるそうです。 曲がりなりにも文化表現に携わっている人間が、 観るべき映画自体の鑑賞を、 撮影に参加した役者一人の意見に反応して放棄してしまう、 などということが本当にありえるのでしょうか? たとえ一般の映画ファンでも、そんな馬鹿な選択はしないでしょう。 おそらくは、 最初から映画など観るつもりもなかったのに、 たんに佐藤浩市を非難するためだけの目的で、 安っぽいレトリックを弄し、幼稚なネガキャンを張っているのでしょう。 たかが編集屋ごときに、 作家並みの能力を求めてはいけないのかもしれませんが、 曲がりなりにも出版業に携わっている人間として、 あまりにも惨めすぎる発想というほかありません。 ◇ こんな馬鹿者たちが、 日本国内で本を書いたり、出版したりしているのかと思うと、 暗澹たる気持ちになってしまいます。 どうか今回のくだらない騒動が、 映画会社の仕組んだ炎上商法であってほしいと祈るばかりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.05.15 07:47:43
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