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まいかのあーだこーだ

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2020.09.03
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カテゴリ:政治
立川志らくは、
今日のワイドショーでも「表現の自由」を批判して、
だったら、殺人も「表現の自由」なのか?!
などと意味不明な妄言を繰り返していました。

いうまでもなく、彼の考えは法理的に誤っています。

殺人が罰せられるのは、
たんに「刑法」に違反しているからであって、
「表現」として誤っているからではありません。

極論を言えば、
殺人というのは「表現」としては是なのです。
たんに「刑法」に違反しているからこそ非なのです。
「表現」というのは、それほど広くて、深いのです。

そのことは、
江戸時代の落語や講談を学んでいる者なら、
当然、知っているはずのことですよね。
そこには残虐な表現がありふれていたのですから。



立川志らくにおける最大の問題は、
その思想信条に起因するものではなく、
むしろ表現者としての「甘さ」に起因するものです。
だから、つねに判断の根拠が曖昧なのです。

彼は、表現者としてのラディカルさに欠けている。
そのことは「プレバト」で書く俳句にも表れています。



今回のBEAMSのTシャツの件では、
デザイナーの側の「表現の自由」と、
SNSでバッシングする人々の「表現の自由」が拮抗しています。

わたしに言わせれば、
双方の「表現の自由」がぶつかりあうことで、
さまざまな議論が生まれていくことこそが、
ほんとうの意味で健全なありかたなのです。

しかし、立川志らくは、
そのときどきの曖昧な基準にもとづいて、
あるときはSNSの側のバッシングのほうを批判し、
あるときは芸術家の側の表現のほうを批判する。

そして、
どちらかの「表現の自由」を抑圧することによって、
本質的な議論や衝突を回避し、
事態をひたすら穏当に収めようとするのです。

そのあげく、
「表現とは穏当なものであるべきだ」
などと生前の山崎正和みたいなことを言ってしまうのです。

そこにこそ、彼の表現者としての甘さがあります。







ただし、このような彼の態度は、
ある意味で、落語家特有のものという気がしなくもありません。
じつは落語家というのは、一般の人々以上に、
表現と現実のはざまの危機的な緊張関係の中を生きているからです。

落語家のなかには、
この「表現と現実の境界」を見失って、
しばしば精神に変調をきたしてしまう人もいるようです。
落語や講談に登場する狂人の世界観が、
それを物語る話者にまで乗り移ってしまうのかもしれません。

立川志らくが、
「表現とは穏当なものであるべきだ」
などと甘っちょろいことを言うのは、
もしかすると、
彼が落語家として健康に生き延びていくための、
いわば無意識の防御なのかもしれません。





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最終更新日  2020.09.03 12:15:23


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