テーマ:政治について(20085)
カテゴリ:不機嫌なジーン
「虚勢」「虚栄」「虚飾」といった言葉がありますが、
それ以外にも、 つとめて朗らかに振る舞ったり、 つとめて華やかに振る舞ったりすることがあります。 さしずめ「虚朗」とか「虚華」とでも書くべきでしょうか。 芸能人なら、なおさらのことですよね。 ◇ 日本は、ホンネとタテマエの社会なので、 そういう振る舞いを強いられることが多いのですが、 三浦春馬も、竹内結子も、 そういう要素の強いタレントだったと思います。 いわば「虚像」を演じるのが仕事ですから、 それによって充実感を得る面もあるでしょうけれど、 とてつもなく虚しく思えてしまう瞬間もあると思う。 わたしが見てきた竹内結子は、 役柄のうえでも、嘘の笑顔を浮かべていました。 『不機嫌なジーン』でも、 『QUEEN』や『ミスシャーロック』でも、 もちろん『コンフィデンスマン』もそうですよね。 そして、彼女自身も、 なかなか本当の姿が見えにくい人でした。 そういう点は、 三浦春馬も共通していたと思いますが、 それは、生きることの「疲労」や「孤独」が、 気づかぬうちに蓄積しやすいタイプだろうとも思います。 本来、演劇には、 そういう虚飾を剥ぎ取る力もあると思いますが、 いまの日本のドラマや映画には、 そういう側面は期待できないのかもしれません。 ◇ 生と死を天秤にかけている人が、 世の中には、けっこう存在するはずですが、 そういう人にとって、 自殺への引き金になるパターンが2つある。 ひとつは、 いつも以上に辛いことや悲しいことがあって、 天秤が死のほうへ大きく振れたときです。 もうひとつは、 いつも以上に、 死ぬのが楽なように思えてしまったときです。 そして、いまの芸能界には、 まさに、この気分が広がっているように見えます。 あの人も死んでいるし、 この人も死んでいるから、 いまなら自分が死んでも大丈夫かもしれない。 いつもより楽に死ねるかもしれない、という気分です。 ◇ 日本に特有の心の問題に、 有効に対処するためのシステムは確立されていません。 周囲に相談しても相手にされないし、 精神科や心療内科に行っても、まったく相手にされません。 病気のカテゴリーにはないからです。 集団的な病というのは、 けっして「個別的な病」として認識されません。 「みんな同じ」「誰だってそうだ」と言われて終わりです。 あまりにも集団的な病であるために、 当たり前すぎて、かえって可視化されないのです。 学界においても、 福祉行政においても、 医療業界においても、 このような集団的な心の問題を、客体化することに消極的です。 厚労省は、 せいぜいのところ、 統計を取って、電話相談に応じているだけです。 まずは、医学会が、 これを「病」として認識する必要があります。 そして薬学的にではなく、 行動学的に対処する方法論を確立しなければならない。 ◇ 去年、 フジテレビの『ボクらの時代』で 竹内結子が、水川あさみや斉藤由貴と鼎談したとき、 彼女が、 水川あさみとのバディコンビが解消したのを寂しがって、 涙を流していました。 それを見て、斉藤由貴は、 「竹内さんがそういう姿を見せるのは珍しい」 と言って驚いていました。それを思い出します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.09.30 13:29:08
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