テーマ:政治について(20088)
カテゴリ:スポーツも見てる!
とくにオリンピックを見ていて思うのですが、
試合に負けた競技直後の選手に対して、 ぶしつけにマイクを差し向けるのは、非常に酷ですよね。 あれは一種のハラスメントじゃないかと思います。 本心を言いにくい状況のなかで、 わざわざマイクを差し向ける必要があるんでしょうか? 選手の立場からいえば、 不本意な試合の直後とはいえ、 カメラの前でネガティブな態度を見せたらバッシングを受けるし、 無理にでもポジティブなことを口にしなきゃなりません。 いわば、嘘を言うことを強要されている。 競技の疲労と、敗戦の動揺のなかで、 それでもなお、頭をフル回転させて、 必死に体裁を取り繕う姿を見せられるのは、 見る側としても、けっして気持ちのいいものではありません。 かえってスポーツの清々しさを損ねているのでは? ◇ たとえば相撲中継でも、 取り組み直後の力士にマイクを向けることがあります。 愛想よくペラペラとお喋りする力士もいるけど、 たいていは「一日一番です」と言うだけ。 そのことが分かりきってるのに、 あえてマイクを向ける意味がありますか? 観客としてのわたし自身の意見を言えば、 競技直後のスポーツ選手のインタビューは要らない。 わたしの目当ては、 あくまでも競技を見ることであって、 選手の苦しまぎれの受け答えを見ることではない。 まだ息を切らしているような状態のなかで、 取り繕ったコメントなどを口にしてほしいとは思わない。 後日、あらためて落ち着いた場を設けて、 気持ちを整理した状態でゆっくり話を聞かせてもらえばいい。 ◇ そもそもスポーツ選手に「話す責任」はあるのでしょうか? たとえば、 企業責任者や政治責任者には、 社会的な意味で「話す責任」(=説明責任)というものがあります。 彼らにマイクを向けることは何らハラスメントではないし、 それどころか、どんなに本人が拒否したとしても、 無理にでも話をさせる必要があります。 実際のところ、彼らの多くは、 話す訓練やらメディア対策やらをやっていて、 巧妙に言い逃れ、真実を隠し、嘘を吐く技術に長けています。 しかし、スポーツ選手にそのような技術は必要でしょうか? 一部には、 プロスポーツはあくまで「興行」なのだから、 プロスポーツ選手も一種の「芸人」なのだ、という主張があります。 たしかに、それはそうなのですが、 あくまで観客の立場でいうならば、 わざわざスポーツ選手が嘘を言う場面など見たくもないし、 そこにエンターテインメントの魅力があるとも思いません。 上手に受け答えのできる選手の好感度が上がり、 そうでない選手の好感度が下がるというような風潮が、 スポーツの世界に必要なことだとも思いません。 ◇ 渋野日向子や、松山英樹と同じように、 大坂なおみも、けっして話すのが上手ではありません。 テニスやゴルフは英国発祥ということもあり、 日本人選手は、文化的に不利な立場に置かれています。 「郷に入りては郷に従え」というけれど、 そもそも「郷」というのはローマのことであって、 そこにはヨーロッパ優位の価値観があるのだけど、 なんでもかんでもヨーロッパ流が正しいわけではない。 現在、大坂なおみは、 プロテニスの「ルール」に違反したと言われています。 しかし、彼女がここで提起しているのは、 そもそもそのようなヨーロッパ流の「ルール」が妥当なのか、 ということ、それ自体なのです。 これは国際文化の問題であり、さらにいえば政治の問題です。 ◇ ちなみに、 大坂なおみを声明で非難した、 フランステニス連盟会長のジル・モレトンが、 あろうことか、メディアへの会見をボイコットしました。 社会的な立場に顧みれば、 たとえどんな状況であっても「話す責任」を負うべきなのは、 あきらかにジル・モレトンのほうでしょう。 わたしは、日本人として、 このようなフランス人に「クソ野郎」と言ってやりたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.07.26 01:12:33
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