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まいかのあーだこーだ

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2021.06.21
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カテゴリ:政治
人々が本を読まなくなるディストピアのお話です。

なぜ人は本を読まなくなってしまうのか?

それを考えるためには、
そもそも人間は、いつどうして本を読むようになったのか。
を考えなくてはなりません。

人間が本を読むようになったのは、
それほど昔のことではありません。わりと最近のことです。

すくなくとも中世まで、
ほとんどの人々は本を読んでいませんでした。
(そもそも字も読めませんでした)
本を読んでいたのは、一部の知識階級だけです。

一般の人々が本を読むようになったのは、
おおむね近代以降でしょうし、
日本でいえば、近世以降だろうと思います。

なぜ、この時期に、
人々は本を読みはじめたのでしょうか?



もっとも象徴的なのは、
ヨーロッパでマルティン・ルターが登場したことです。

それまで聖書を読んでいたのは教会の聖職者だけで、
一般の信者は聖書を読むことが出来ませんでした。

聖職者たちは、
聖書のみならず、あらゆる書物の知識を独占し、
教義にとって都合の悪い書物は、
人々の目に触れないように隠していましたし、
焚書もおこなっていました。

そして、そのことが、
無知蒙昧な社会を作り出し、
教会権力を腐敗させ、硬直化させ、弱体化させました。

マルティン・ルターは、
そうした状況を打ち破るために、
一般の信者にも聖書を読ませました。
すでにグーテンベルクの印刷技術が普及していました。

いわばプロテスタントとは、
みずから聖書を読む人たちのことです。
その結果、聖職者や教会は無用となりました。



人々が本を読みはじめる動機があったとすれば、
権力が腐敗し、弱体化し、
従来の常識が信じられなくなったからだと思います。



さらに多くの人が本を読むようになったのは、
国民国家の時代です。

「国語」の制定(言文一致)や、
「録音・録画技術」の発明によって、

新聞、小説、レコード、ラジオ、映画が普及し、
国民文化が共有され、国民社会が形成されました。

こうした国民社会は、
テレビが普及したことによって完成に至りました。

しかし、
いまや国民文化の発展も頭打ちとなり、
国民社会そのものが衰退しはじめる状況のなかで、
小説も、音楽も、映画も、そしてテレビさえも、
かつてのような統合力と影響力を失っています。

現在の人々が本を読まなくなったのは、
たんにテレビのせいだけではありません。
(そもそも若い世代はテレビさえ見ていません)
国民文化そのものが衰退しているからです。



テレビのような映像文化が、
かつての本と同じような力をもつためには、
それらが多チャンネル化され、
さらにアーカイヴ化される必要があります。

すくない選択肢のテレビをリアタイで見ている限り、
人々は思考停止状態で身を委ねるしかないし、
作り手側もまた、
視聴率の稼げる安易な番組しか作ろうとしません。

しかし、
映像メディアそのものが多様化し、
それらにいつでもアクセスできるアーカイヴ化が進むと、
人々は、より能動的・選択的に映像を見はじめます。

じっくりと時間をかけて、くりかえし鑑賞し、
さらに他作品との比較をしながら味わいはじめます。

そのとき、
テレビのような映像作品も、
かつての書物と同じような啓蒙力を発揮するでしょう。

もちろん、
大多数の人たちは、
なかなか常識を疑おうとしませんから、
書物の時代の大衆の啓蒙に限界があったように、
映像メディア時代の啓蒙にも限界はあります。

それは、いつの時代も変わりません。





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最終更新日  2021.06.22 05:58:11


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