カテゴリ:岸辺露伴と小泉八雲。
すこし前になりますが、
11月30日に放送されたNHKの「歴史探偵」。 テーマは、出雲 “神話の国”の謎。 面白い話があったので、メモしておきます。 ◇ 第1に、 古代出雲大社の高層建築について。 高層の木造建築を可能にしたのは、 大陸的な工法ではなく、 横材を格子状に組んで耐震性を備えた、 縄文以来の日本独自の工法ではないか、とのこと。 つまり、出雲の人々は弥生人じゃなく縄文人ってこと? やはり出雲の蛇神信仰にも、 縄文文化からの流れがあるのかもしれませんよね。 ◇ 第2に、 出雲周辺には、 いまでも朝鮮半島からの漂着物が流れて来る、とのこと。 ブラタモリの境港の回 でも、 島根半島の周辺に漂着物が多いことが取り上げられてましたが、 2つの海流(リマン海流と対馬海流)に乗れば、 北九州を経由せずに、 朝鮮半島との直接的な交流が可能だったかもしれない。 ◇ 第3に、 ブラタモリの境港の回 でも、 島根半島とその内海の地形が、 トンボロ(陸繋砂州)の原理で出来ているとの話でしたが、 じつは出雲の神西湖は、 かつては現在の3倍もの大きさがあって、 それが宍道湖や中海を経由して、 出雲~松江~境港が一体的な経済圏を成していた、とのこと。 これは想像していたとおりでした。 出雲国造家の起源が、 松江市の神魂神社だった件にも関係する話だと思う。 以下はウィキペディア【神西湖】の記述です。 ・縄文時代 現在の宍道湖にあたる湖域全体とその西岸陸域は全て日本海に繋がっていて、島根半島の西側をえぐる大きな湾が存在していた。その湾に南から注ぐ斐伊川と神戸川の強い堆積作用により湾は次第に埋め立てられ、東側と西側に分断された。東側が現在の宍道湖の原型であり、西側に残った湾部が現在の神西湖の原型である。 ・弥生時代 堆積作用が進むにつれて湾は次第に小さくなり、日本海と分断され、汽水湖となった。 島根半島の内海は、 水産資源の面でも、交易の面でも、防衛の面でも、 いわば「コンパクトな瀬戸内海」みたいな世界だったかもしれませんね。 ◇ なお、 出雲から大和への国譲りがあった頃のことでしょうが、 弥生時代中期の出雲では、 青銅器がまとめて埋められており、 その時代から四隅突出型の古墳も消滅したようです。 つまり、前方後円墳が日本列島の全域に広まっていく。 そして、出雲は、 地上界を譲る代わりに冥界を支配するようになった、 …ってことですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.17 16:03:07
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