カテゴリ:岸辺露伴と小泉八雲。
NHK「ドキュメント72時間」で、
島根の黄泉比良坂よもつひらさかの回を見ました。 川栄李奈の素敵なナレーションでしたね。 AKB時代にアホの子だったのが嘘のようです(笑)。 ちなみに昨日は、 おととしに書いた岸辺露伴の記事のアクセスが増えました。 思うに「岸辺露伴・黄泉比良坂」で検索した人が多かったのかな? ◇ わたしとしては、 もうすこし地形的なことも知りたかったのだけど、 番組を見ただけでは、それがよく分からなかった。 曲がりなりにも「坂」というのだから、 そこを登りきったら、あるいは降りきったら、 どこかへ通じる道なのかと思ってましたが、 実際は、巨石のある場所が行き止まりになってる。 この巨石がどうやら「千引ちびきの岩」らしい。 イザナギはこれで黄泉の国との境界を塞いでしまった。 ◇ ネットで調べてみると、 道を塞いでるのは巨石だけじゃなく、 近くには「塞の神」もあって、 そちらも行き止まりになってるようです。 かつては、そこから先の道が存在したらしい。 この小道は、古くは、揖夜神社から塞の神を通り、尾根沿いに意東・広瀬・安来方面につながる重要な古道のひとつと言われてきました。現在は通り抜けることができません。地元では、塞の神から東に広がる谷を夜見路谷、谷を抜けることを夜見路越えと呼び、今でもその呼び名が語り継がれています。 イザナミが黄泉の国に隠れた後をつけて通った谷を、今もつけ谷(付谷)といい、山坂道を追っかけ上がった坂は追谷坂(大谷坂)とよばれている。その峠には塞の神(道祖神)が祀ってあり、そこを越した所がヨミジ谷であって、ここに神蹟伝説の碑が建っている。この碑から西に行けば前記の付谷を渡り山越えして五反田、そこから勝負を越して須田方面に向かう。東方に行けば中意東超坂から、馬場に出て雉子谷を越えて高丸から安来市の岩舟方面に通じる。南方には山の峰道より上意東から荻山(京羅木山)や星上山に通じたのが大昔の道であったとは古老の語りぐさである。 …境港のある弓ヶ浜半島も、 地名の由来は「夜見ヶ浜」であって、 砂州で陸続きになる前は「夜見島」だったのだけど、 やはり松江にも「夜見(≒黄泉)」という地名があるのね。 ◇ Googleの上空写真で見ると、 黄泉比良坂のある場所は、 ギザギザした山地の先端部分です。 わたしなりにブラタモリ的な推測をすると、 太古の昔は海に面した岬の先端だったのだと思う。 早い話、黄泉比良坂ってのは、 太古の海岸通りじゃないかしら? ギザギザした地形なのは、 火砕流が流れた痕跡か、川や海で削られた結果か。 巨石がゴロゴロしてるってことは、 火山の影響がある気もする。 ◇ 去年の「ブラタモリ」の境港編によれば、 本州と島根半島をつないでる砂州は、 海流がトンボロの原理で形成したものだから、 その砂州ができる前には内海があったはずです。 ※その名残が2つの汽水湖(宍道湖&中海)になってるわけです。 https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202208290000/ そして、 砂州ができはじめたころ、 黄泉比良坂のあたりの岬の先端は、 さまざまな漂着物が流れ着く場所だったと思う。 実際、昔の境港の海岸には、 死体が流れ着くこともあったらしい。 https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202209030000/ だからこそ、 黄泉への入口と思われたのではないでしょうか。 ◇ 今回の番組で取材した人たちの話によれば、 黄泉比良坂は「呪術廻戦」や「鬼灯の冷徹」にも出てくるのね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.17 16:04:35
[岸辺露伴と小泉八雲。] カテゴリの最新記事
|
|