テーマ:政治について(20220)
カテゴリ:政治
正直なところ、
ウクライナ問題にせよ、パレスチナ問題にせよ、 しらけた気持ちで見てしまうところがあります。 もともとヘブライズムのなかに、 あらかじめ戦争のプログラムがセットされてるのか? …なんてことも考えてしまう。 ◇ ユダヤ教にも、キリスト教にも、イスラム教にも、 近代化に抵抗する原理はあるはずなのに、 なぜかキリスト教世界が近代化を果たし、 かたやイスラム教世界は近代化に背を向けて、 そこにくっきりとした非対称の構造が生まれ、 そのはざまでユダヤ教徒が商売をするという図式。 地下資源の豊富な地域ほど近代化が立ち遅れるところにも、 ある種の必然性みたいなものを感じます。 ◇ イスラエルの建国から70年以上が経って、 世代交代による厭戦思想が広がったり、 過疎化が進んだりしてもいいはずなのに、 なぜパレスチナとの対立構造は維持され続けるのか。 戦うことを覚悟のうえで、 あんな場所に住み続けたいと思う人々が、 そんなにたくさんいるものかしらねえ。 いくら聖地だとはいえ、 たとえばニューヨークに住んでるユダヤ人が、 「いつかイスラエルで暮らしたい!」 などと思ったりするのでしょうか? ◇ 対立軸をそらしたかったプロテスタントが、 あえてユダヤ人をアラブと戦争させるよう仕向けた、 …ということは言えるのだけど、 もしかしたらボブディランが言うところの、 「戦争の親玉」とか「戦争のプロ」のような人たちが、 あえて投資の対象として、 この対立軸を温存させてるんじゃないかしら? いずれにしても、 よほど戦争に積極的な人たちがいなければ、 こんなに対立が続くはずはないと思うのよね。 普通なら双方ともに疲弊するはずです。 ◇ 本来のユダヤ人とアラブ人は民族的な近親関係にありますが、 現代のユダヤ教徒が本来のユダヤ人ではない、とはよく言われること。 西欧の人間にとって、 この戦争は異民族どうしの潰し合いにすぎないだろうし、 もしかしたら現代のユダヤ教徒にとっても、 この戦いは、たんなる投資の対象でしかないのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.19 13:50:42
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