テーマ:政治について(19986)
カテゴリ:政治
近代の歴史は、
オランダ、イギリス、アメリカなどのプロテスタント国家が、 ユダヤ人と手を組み、 国際的なヘゲモニーを握ることで作られてきました。 いわば近代とは、 ユダヤ=プロテスタント連合による、 世俗化をともなった資本主義拡大運動だったのであり、 その結果として欧州のヘブライズムは世俗化を強いられた。 オランダにせよ、イギリスにせよ、アメリカにせよ、 ユダヤ人を受け入れることは、 資本主義を受け入れることとほぼ同義だったと思います。 ◇ 15世紀のチェコは、 ユダヤ人を受け入れながらも宗教改革に失敗し、 その後のドイツは宗教改革には成功したものの、 資本主義を受け入れることができず、 結果としてユダヤ人とも折り合えずに終わった。 ドイツだけではなく、 カトリック国家のイタリアやスペインも、 また、天皇を信仰した日本も、 資本主義を受け入れることができず、 それに抵抗する原理としてファシズムを採用しました。 また、 戦後のソ連や中国は社会主義を採用することになった。 ◇ 西欧や日本が戦後にファシズムを放棄し、 ロシアや東欧や中国が冷戦後に社会主義を放棄したことで、 資本主義への抵抗原理をもつのはイスラムだけになりました。 なぜイスラムだけが、 それほど強固な抵抗原理になりうるのかは謎です。 じつは戦前の日本の天皇主義と同様に、 その実態はただのファシズムなのかもしれません。 また、ロシアと中国も、 社会主義を放棄したとはいえ、 ユダヤ=プロテスタント連合に折り合ったとはいえない。 その意味では、いまだ何らかの抵抗原理を宿している。 それは、やはりファシズムかもしれないし、 ロシアの場合は、 スラブ的な正教信仰なのかもしれないし、 その点でこそイスラムに連帯しうるのかもしれません。 … 戦前の日本の天皇制は一神教に近いものでしたが、 もともとアジアの仏教や儒教は宗教というより、 ほとんど哲学に近いものだったので、 世俗化を拒む要素がそれほど強いわけではなく、 イスラムのような抵抗原理はもっていないと思います。 とくに日本の仏教は近世の封建主義より世俗的だったし、 資本主義とはかえって親和的だったと言ってもいい。 ◇ かりに、 資本主義への抵抗原理が世界にまだ残っているなら、 フランシス・フクヤマが述べたような「歴史の終わり」は、 まったく実現してなかった…ということになるけれど、 その抵抗原理が、 はたして宗教的なものなのか、 それともファシズムやコミュニズムのような政治体制なのか、 あるいは資本主義そのものに内在する経済的矛盾なのか、 そこをハッキリさせなければ、 ウクライナ問題も、パレスチナ問題も、 (とりあえず戦争自体は数年で終わるにせよ) 本質的な解決には至らないのでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.21 14:12:40
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