2116405 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2023.11.14
XML
カテゴリ:メディア問題。
宝塚で後輩叩きをしていた劇団員も、
元ジャニタレの被害者叩きをしていたジャニヲタも、
自分たちの行為が「正義」だと信じている点で似ています。

これはたとえば、
子供を虐待する親や教師が、
自分の行為を「躾しつけ」だと信じているのにも似てるし、

後輩にシゴキをおこなう運動部員やサラリーマンが、
自分の行為を「指導」だと信じているのにも似ています。



これは一面では、
伝統的な縦社会の悪弊にも関係するけれど、

それだけではなく、
SNSのエコーチェンバーのように、
偏狭な「正義」が増幅しやすい現代的な環境も関係している。

本を読むこともなくなって、
テレビを見ることも少なくなって、
公共的な価値や多様な価値に触れる機会は減っているし、

一定以上の知性がなければ、
価値の相対性に気づくことが出来ず、
狭い世界の価値観だけに染まってしまい、
自分の信じている「正義」が妥当かどうかを疑うこともできない。



それどころか、
偏狭な「正義」が増幅した集団のなかでは、
それに疑いをもつ人間のほうが排除されてしまうし、
それを批判をする知性的な人間のほうが叩かれてしまう。

これは戦時中の状況に似ています。

多くの日本人が、
軍国主義教育や大本営発表を信じていた時代では、
それを批判する人間のほうが「非国民」だと叩かれた。

人々は、天皇の玉音放送を聴くまで、
軍国教育や大本営発表を「正義」と信じて疑わなかったし、
敗戦してから気づいても後の祭りなのだけど、
敗戦しないかぎりは、その「正義」が間違いとは考えない。

宝塚の場合も、ジャニーズの場合も、
死者が出るまでは、その「正義」を疑おうとはしないし、
場合によっては、死者が出てもなお、
いちど信じてしまった正義を捨てることができないのでしょう。



とくに若い世代で、
こうした偏った価値観が増幅しやすくなっています。
これは危険な傾向だというべきです。

国民が公共的な価値や相対的な価値に触れる機会を、
従来の国家教育とは別の形で作っていかなければなりませんし、

官民が共同して、
偏狭な「正義」を疑えるだけの知性を鍛えていかねばならない。



宝塚で後輩叩きをしていた団員は、
いまや「社会悪」として世間から叩かれる立場になっています。
それまで自分たちの信じていた正義が、
外の世界からは「悪」だと見なされるようになってしまった。

それは、ちょうど、
"敗戦後の軍国主義者"に近い心境だろうと思います。
自分たちの拠り所としてきた基盤が完全に否定された状態ですね。

国が違えば正義は変わるし、時代が変われば正義も変わる。
外側の正義は内側の正義とは違うし、未来の正義は現在の正義とは違う。

小さな集団のなかで視野が狭まると、
そうした価値観の多様性や相対性を想像できなくなり、
偏った正義感で身を染めてしまうことになりますが、
それは結果的に自分自身を滅ぼすことになる。

そうならないための最低限の視野と知性は、
現代社会に生きる誰にとっても必要なことだと思います。


にほんブログ村 テレビブログへ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.06.17 20:39:46


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

日記/記事の投稿

カテゴリ


© Rakuten Group, Inc.
X