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まいかのあーだこーだ

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2023.11.16
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テレ朝の2つのドラマ、
「ゆりあ先生の赤い糸」と「泥濘の食卓」。
どちらも《愛人との共生》という事態に至ってます。

つまり、
愛人が福祉要員として家庭のなかに入り込む。
これって、意外にリアルじゃないかと思うのですよね。



基本的に、夫婦というのは、
出産と子育てをおこなうための単位だけど、

現在は介護のような課題も抱えてて、
それはもう夫婦だけじゃ対処しきれなくなってるし、
夫婦の片方もしくは両方が要介護になる場合もある。

そうなると、
第三者、第四者に手伝ってもらわないことには、
家庭そのものが自壊しかねないのですよね。

その第三者、第四者が愛人でもいいじゃないか!

…って発想が、2つのドラマの基礎になってるのかも。

昔の上流階級なら、
渋沢栄一みたいに妻妾同居させてたり、
家のなかに第一夫人と第二夫人がいたり、
若いお手伝いさんが主人と家庭内不倫になることも、
わりとよくあっただろうし。




もちろん一般的には、
在宅介護の制度を用いて、
ヘルパーに入ってもらうのが普通ですが、

いずれにせよ、
夫婦の単位だけであらゆる負荷を抱えていくか、
それとも第三者、第四者に入ってもらうかってのは、
現代の家族にとってリアルな課題だと思います。

家族という共同体のありかたを、
もっと柔軟な形で作り直していく必要があって、
そうでもないと、負荷が大きすぎて自壊してしまう。



菅野美穂の「ゆりあさん」の場合、
愛人に略奪の意思はありません。
むしろ本妻のほうに離婚の意思があります。

しかし、当面は、
本妻と愛人が協働して介護に取り組もうとしている。


齊藤京子の「泥濘の食卓」のほうは、
愛人に略奪の意思があるけれど、
最終的に本妻を排除するつもりなのか、
ずっと本妻と共生していくつもりかは分からない。

いまのところは父親の愛人ですが、
いずれ高校生の息子の恋人になる可能性も秘めています。



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最終更新日  2024.06.17 14:42:36


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