カテゴリ:メディアトピック
わたしは知らなかったのですが、
2010年に、 いわゆる「やわらかい生活裁判」ってのがあって、 そこでは、 《原作者の完全勝訴/脚本家の完全敗訴》 …との司法判断が下されてるのね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/絲山秋子#映画脚本を巡る訴訟 このときは、 原作の二次使用の許諾を取ったのが、 映画制作会社や脚本家でなく、出版社(文芸春秋)だった、 …というテクニカルな面での失敗もあるのだけど、 やはり最大の判決理由は、 原作者の「著作権/著作者人格権」を重視したことだと思う。 (この裁判での出版社の立ち位置はいまいち分かりません) ちなみに、この裁判は、 シナリオの雑誌掲載をめぐる争いだったのだけれど、 理屈のうえでいえば、 映画公開の中止さえも可能にするような判例だと思う。 つまり、原作者の一存さえあれば、 あらゆるメディアミックスを中止に追い込める、 …ってことではないかしら? ◇ そこで気になるのが、 現在の東宝ミュージカル「ジョジョ」のことです。 一部では、あの騒動も、 「もしや原作者とのトラブルでは?」 なんて噂されてますが、…どうなんでしょうね。 実際のところは分からないけど、 あくまで理屈のうえでいえば、 原作者の一存で公演を中止させることは可能だと思う。 ◇ 芦原妃名子だって、法的な観点からいえば、 自分の一存でドラマをやめさせることは出来たはず。 でも、小学館との信頼関係を優先させたのでしょう。 出版社とのあいだで、 二次使用や代理人にかんする契約をすることが、 一概に悪いとも言いきれませんが、 あくまで著作権や著作者人格権は原作者にあるのだから、 代理人に縛られる必要はなかったはずなのよね。 出版社は、 最終的には企業のロジックで動くだろうし、 そういう出版社を信頼しすぎると、 結果として原作者自身が苦しむことになると思う。 ◇ まあ、セクシー田中さんの問題でいえば、 表向きは味方のフリをしながら、 実際は二枚舌で原作者の権利を搾取していた、 出版社&テレビ局が悪いんだろうし、 それを慢性化させた業界全体の責任でもあろうけど、 ぶっちゃけていえば、 メディアミックスをめぐる対立というのは、 すぐれて権利上の争いなのであって、 誰が正義で誰が悪か…みたいな話ではないと思います。 今回は、 原作者の死という結果から見てるがゆえに、 どこかに犯人がいるかのごとく考えがちだけど、 ほんとうはそうではない。 この争いでは、 二次使用をする側が負けることもありうるし、 そちら側に被害者が出ることだって想定せねばならない。 ◇ もし原作者の一存で、 映画やドラマや演劇を中止させることが可能だとすれば、 それはメディアミックス産業にとって恐怖です。 原作者の多くは、 あくまで忠実な二次使用を望むかもしれませんが、 それが市場の評価に帰結するとは限らないし、 そもそも、 映画にしろ、ドラマにしろ、演劇にしろ、 「完全に忠実な二次創作」などありえないのだから。 いったい何をもって「忠実」と判断するのか。 たとえば東宝の「ジョジョ」はミュージカルですが、 原作漫画に忠実なミュージカルなんて本質的に不可能! 物語やキャラのみならず、 衣装や舞台セット、音楽や歌など、 原作漫画の世界観を壊しかねない要素は枚挙に暇がない。 ◇ 相沢友子の脚本もそうだったかもしれないけど、 たとえ制作側が「それなりに忠実」なつもりでも、 原作者から見れば「ぜんぜん忠実じゃない」って判断になったり、 たとえ制作側が「最大限に忠実」なつもりでも、 原作者から見れば「まだ足りない」って判断になるかもしれない。 そういう終わりのない「無限忠実地獄」に翻弄されかねない。 まして、 出版社が二枚舌を使って仲介していたなら、 その齟齬は永遠に埋めようがありません。 かといって、 細かい条件までを事前に確認しようとすれば、 それはそれで、とてつもなく膨大な作業になるはずです。 ◇ 従来のメディアミックスの世界で、 その合意がうやむやにされてきたのは、 ある意味で必然的なのだと思う。 うやむやにして進めるしかなかったのでしょう。 結論をいえば、 「改変OK」の原作でなければメディアミックスは不可能。 さもなくば、 「最低限ここだけは譲れない」 みたいな限定的な項目だけを列挙してもらって、 それ以外は「改変OK」と容認してもらうしかありません。 これは、二次使用の際に、 「リスペクトする気持ちがあるかどうか」 なんぞという生易しい抽象論ではありません。 そんな精神主義などクソほどの意味もありません。 ◇ 何をもって「忠実」とみなすかは、 おそらく原作者の主観によってそれぞれであり、 それを客観的に判断したり規定したりはできないのです。 世間の漫画ヲタは、 「原作ファンが納得することがいちばん大事!」 などと都合よく考えてるらしいけど、 そんな話は二の次三の次のどうでもいいことであって、 法的な意味の最重要事項は、 やっぱり「原作者自身が納得するかどうか」になる。 そして、それは、 原作者によって重視するポイントが違っていて、 内容面での納得かもしれないし、 権限面での納得かもしれないし、 待遇面での納得かもしれません。 まあ、原作者といえども、 映像や演劇のプロじゃないのだし、 二次創作へ介入するにしても能力的な限界があるから、 最後はやっぱり、 「金銭的な待遇」で決着するしかないんじゃないかしら? その意味でいうと、 もしかしたら今回の東宝ミュージカルは、 原作者による事実上の《ストライキ》の可能性もあります。 ◇ たとえば映画会社は、 Youtubeの「ファスト映画」を権利侵害だと糾弾してきたけど、 原作者から見れば、 待遇面で折り合わない映画会社の二次創作は、 ファスト映画と大差のない権利侵害ってことになるはずです。 なお、「ジョジョ」は集英社の作品ですが、 先の「やわらかい生活裁判」の場合と同じように、 二次使用の許諾を取ったのが集英社なのか東宝なのか、 そこらへんも重要なポイントになるのかもしれません。 つまり、 仲介をする出版社が許諾をとるのではなく、 制作会社が直接原作者から許諾を取らなければ、 つねに中止に追い込まれる危険性を避けられないのでは? ◇ もともと「ジョジョ」の荒木飛呂彦は、 メディアミックスに寛容なイメージがあるのだけど、 本当のところはどうなんでしょうね。 NHKドラマの「岸辺露伴」などは、 原作ファンも納得の出来だと言われてるけど、 あのドラマだって、 かならずしも原作に忠実なわけではありません。 とくに飯豊まりえの演じた泉京香のキャラは、 かなりドラマオリジナルの要素が強い。 あのドラマの人気は、 泉京香のキャラによるところも大きいけれど、 案外、原作者にしてみれば、 そこが「最大の不満ポイント」だった… なんてことだって、ありえなくはないのです。 ◇ わたしは、 ドラマ版の「岸辺露伴」も、 ドラマ版の「セクシー田中さん」も、 十分に楽しんでいたわけですが、 三次元の住人(ドラマファン)と二次元の住人(漫画ヲタ)とでは、 まったく見え方が違ってる可能性があり、 原作ファンと原作者自身のあいだでさえ、 ぜんぜん見え方が違ってる可能性があるのです。 原作者が納得しても、 原作ファンには大不評ってこともありえるし、 その逆も十分にあり得るってこと。 ◇ そういえば、 漫画ヲタクどもは、 TBSによる「砂時計」のドラマ化を評価してたらしいけど、 文春の記事によると、じつは芦原妃名子は、 あの映像化にさえ苦慮してたらしいじゃないですか。 原作者と原作ファンの見解が一致するなんてのは幻想です。 それは原作者と出版社の利害が一致しないのと同じ。 求めるところはそれぞれに違っている。 漫画ヲタクの人たちは、 「原作に忠実に作るのが正義!」みたいに簡単に言うけど、 《二次創作の忠実性》という概念は、 きわめて主観的、かつ曖昧、かつ多様だと考えるべきです。 ◇ メディアミックス産業の未来に暗雲が立ち込めている。 二次元世界と三次元世界は、いよいよ全面戦争に入るかも。 池田理代子の「ベルばら」などは、 漫画と宝塚歌劇がどちらも大ヒットして、 メディアミックスの先駆的な成功例になった。 萩尾望都は、 宝塚ファンだったにもかかわらず、 自作の舞台化にはずっと消極的でしたが、 30年余りの交渉を経て「ポーの一族」が宝塚歌劇になった際は、 「感動で言葉になりません」と話してたから、 これも最終的には成功裏に終わってる。 漫画協会理事長の里中満智子も、 「二次創作は原作とはまた別の世界」と話してて、 わりとメディアミックスには寛容なようです。 今回の「ジョジョ」は、 宝塚と同系列の東宝ミュージカル。 東宝は舞台「千と千尋」も成功させましたが… もしかしたら今回の「ジョジョ」ミュージカルは、 過去に例がないほどの大きな躓きになってしまうかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.17 20:27:13
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