カテゴリ:NHKよるドラ&ドラマ10
…昨日の記事の続きです!
他人から卵子提供を受けて出産した場合、 「その子に愛情を注げるのか」って疑問はある。 でも、そこに確たる答えはないですよね。 そもそも我が子に対してさえ、 まともな愛情を注げない親はたくさんいるのだし。 逆に、 血縁のない養子を引き取って愛情を注ぐ人もいれば、 配偶者の連れ子にちゃんと愛情を注げる人もいます。 もちろん、子供との相性の問題もあると思う。 だから、一概には言えない。 ◇ たとえばレズビアンの女性が、 男性の配偶者の精子と、 女性の恋人の卵子を使って、 自分のお腹を痛めて出産したならば、 たとえ自分との血縁がなくても、 我が子のように愛情をもてるかもしれない… なんてことを考えてみたりもします。 たぶん臓器提供の場合もそうでしょうが、 顔の見える知り合いからのものか、 顔の見えない他人からのものかによって、 感情のありかたは変わってくるかもしれません。 どちらがいいのかは分かりませんが。 ◇ もうひとつ考えるべきテーマとしては、 卵子や精子の「ドナー選別」の問題があります。 これは、ほかならぬ「遺伝子選別」ということ。 たとえばドイツの優生保護政策では、 民族浄化と称してユダヤ人が殺されたり、 日本でも身障者への不妊治療が強制されたりして、 あきらかな人権侵害があったのですが、 卵子や精子のドナー選別と同様に、 たとえば天皇のお妃選びにおいても、 ペットや競馬馬の品種改良においても、 実質的な遺伝子選別はおこなわれています。 そして現代における遺伝子選別の多くは、 企業や学校が優秀な人材を選別するのと同様に、 市場原理にもとづく経済行為としておこなわれる。 政策的におこなわれるにせよ、 経済行為としておこなわれるにせよ、 それらが差別的な人為であることに変わりはない。 ◇ けれど、逆に、 医療や福祉の充実した先進国では、 自然界で生きるのが困難だった弱い遺伝子も、 生き残る確率を高めてきた、という側面があります。 昔なら若くして亡くなったであろう、 病弱な子供や身障者であっても、 先進国でなら成人して子供が産めるようになってる。 それもまた、 自然選択に逆らった人為であるのに違いはないし、 技術的にはあらゆる遺伝子のバリエーションを残すのも、 可能になっていくのだろうと思います。 ◇ そう考えたときに、 自然選択に逆らった人為はどこまで許容されて、 遺伝子選別はどのようになされるのが正しいのか。 進化論的な自然選択と同じように、 自由経済の市場原理に任せるべきなのか。 それとも国家的な政策介入によって、 遺伝子選別のありかたに規制をかけるべきなのか。 それとも近視眼的な人間の判断を排除して、 いっそのことAIのマッチング技術を駆使し、 未来社会に適した人材養成と、 持続可能な人口調整をはかっていくべきなのか。 社会的な議論においては、 そこまでの判断が必要になってくると思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.17 19:09:27
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