カテゴリ:ドラマレビュー!
今ごろですが「9ボーダー」を見終わりました。
金子ありさにしては、 これまでになく構成感のある脚本だったなと思う。 ◇ なぜか知らないけど、 TBSの「くるり」と「9ボーダー」は、 どちらも記憶喪失のラブコメで、 お相手の名前が "コウタロウ" でしたね。 たぶん多くの視聴者は、 「くるり」の結末には納得感があっても、 「9ボーダー」の結末には、 ちょっとモヤモヤした後味を感じたはず。 ◇ 生見愛瑠の「くるり〜誰が私と恋をした?」では、 3人の恋人候補のうち、 2人の男性はやや不誠実で、公太郎だけが誠実だった。 しかもヒロインは、 記憶を失う前も後も、 ずっと公太郎を好きだったわけだから、 最後に公太郎と結ばれる結末には必然性がある。 ◇ かたや松下洸平の「9ボーダー」の場合、 2人の女性の恋人候補のうち、 どちらか一方に落ち度があったわけじゃない。 にもかかわらず、コウタロウは、 記憶喪失前とは別の女性を最後に選ぶのよね。 つまり、川口春奈を選んで大政絢を捨てる。 多くの視聴者は、この結末を受け入れにくいと思う。 夏に終わるドラマなのに、 最終回がクリスマスだったのも不思議でした。 ◇ ただ、わたしの印象はむしろ逆で、 たしかに「9ボーダー」の結末は中途半端だけど、 そこには脚本家の確固たる意図が感じられたので、 かえって納得感をおぼえてしまった。 ◇ 記憶喪失前の「芝田悠斗」が、 東京下町の開発を目論む地上げ屋の悪人であり、 記憶喪失後の「コウタロウ」が、 純真無垢なアマチュアのミュージシャンならば、 そこには勧善懲悪的な図式が成り立つはずです。 でも、 金子ありさの脚本は、 そこに善悪の区別をつけませんでした。 実際のところ、 地上げ屋の企業はそれほど悪い会社ではなく、 芝田家の家族もけっして悪い人たちではなく、 芝田悠斗の婚約者も悪い女性じゃなかった。 だから、勧善懲悪的な図式が成立しない。 ◇ これって、 朝ドラ「ちむどんどん」の大野愛と同じですね。 恋敵に落ち度がないと、 勧善懲悪的な図式が成り立たないので、 フラれたほうが可哀想に見えてしまうし、 なんならヒロインのほうが悪人に見えてしまう。 でも、 今回の金子ありさの脚本は、 あえて勧善懲悪的な図式をとらず、 むしろ「1か0か」ではない中間的な結末を選んでる。 たとえば、 長女の木南晴夏は、 井之脇海と完全に別れるのでもなく、 結婚して海外に移住するのでもなく、 あえて中間的な選択肢を探ることにしたのですね。 下町の開発についても、 実家の銭湯のリニューアルについても、 完全に古いまま残すのでもなく、 完全に新しくするのでもなく、 中間的な解決策を模索することになった。 ◇ …とはいえ、 男女の三角関係において、 「1か0か」ではない中間的な選択って無理ですよね。 ふつうなら、どちらかに決めなければならない。 かりに平安時代の「光る君へ」なら、 当時はまだ一夫多妻制の社会だから、 《宣孝と結婚しつつ、道長への想いも捨てない》 …みたいな曖昧な決着も許されるだろうけど、 現代社会では、そうはいきません。 もちろん、実際には、 曖昧な三角関係を維持してる男女もいるとは思う。 でも、 すくなくともテレビドラマの世界で、 そういう結末は視聴者に許されていません。 にもかかわらず、 金子ありさは、あえて曖昧な結末に着地させた。 ◇ 結局のところ、 コウタロウは、 神戸での生活を選んだのか、 東京での生活を選んだのかハッキリしません。 今後、記憶が戻れば、 また婚約者とのあいだで揺れ動くかもしれない。 そういう曖昧さを残した結末です。 現実においても、 恋愛は完全懲悪的に片付くものじゃないから、 理不尽に傷ついてしまうのが常だし、 曖昧な状態を受け入れるほかない場合もある。 ◇ 今回のドラマの結末が成功してるかは微妙ですが、 金子ありさはあえて難しい課題に挑んだと思います。 曖昧な恋愛を描くドラマは、 これから増えていくかもしれない。 模範的な恋愛ばかりを強制する社会は、 若者の恋愛離れや、 晩婚化や非婚化や少子化を加速させる一方だし、 不倫に対する異常なほどの不寛容さも、 自由恋愛へのひとつの足枷になってると思う。 ◇ 強制力をともなう支配関係でないかぎり、 同性愛であれ、年の差恋愛であれ、 若年恋愛であれ、老年恋愛であれ、 そして多重恋愛であれ、 マッチングが適切なら容認されるべきなのよね。 逆に、 いくら見かけは模範的な恋愛でも、 強制的な支配による恋愛は容認されるべきじゃない。 そこらへんの価値観が、 いまの日本社会はあべこべなのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.09 15:00:41
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