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まいかのあーだこーだ

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2024.07.18
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先日は、
ドラマ「広重ぶるう」を放送してましたが、

NHKは、
あべのハルカスの美術展にあわせて、
広重の番組をまとめて放送してるのね。

今回の「歴史探偵」では、
おもに東海道五十三次のことを取り上げて、
さらに、
4年前の「浮世絵ミステリー」の再放送では、
おもに江戸百景のことを取り上げてました。





2つの番組を見ましたが、
先日のドラマとくらべても、
広重のイメージに大きな矛盾はなかったです。

やはり、
市井の人々のユーモラスな姿を描いて、
絵のなかに共感性のある物語を作ってました。

ただし、名所絵は、
たんに写生するだけが目的じゃなく、
いわば旅行ガイドでもあるので、
いろんなデフォルメや演出や編集はしてたっぽい。

本人いわく、
寫真をなして、これに筆意を加うる時はすなわち画なり
(写実描写に、筆者の意図を加えてこそ絵になるのだ)

…ってことのようです。



たとえば、
ひとつの画面のなかに、
その土地の風物を無理やり収めるべく、
現実にはありえない構図をつくったりしてる。
これは一種の映像編集ですね。

先日のドラマでは、
ありえない構図で「神奈川沖波裏」を描いた北斎に、
広重がツッコミを入れるシーンがありましたけど、
それと同じことを広重もやっていた。

ほかにも、
雪の降らない土地に雪を降らせるとか、
風景はそっちのけでグルメ情報にフォーカスするとか、
そういう演出をやってます。



広重の『東海道五十三次』は、
旅行ガイドであり、疑似旅行メディアでもあった。

実際に東海道を往復したら、
その旅賃は現在の金額で30万円くらいだったらしいけど、
浮世絵を買えば1枚500円くらい。
全55図をコンプリートしたら3万円くらい。

つまり、3万円の浮世絵で、
30万円分の旅行気分を味わえたのですね。



晩年の『名所江戸百景』では、
幕府の取り締まりをかいくぐるために、
さまざまな暗示的な表現も駆使してたようです。
ちょっとダヴィンチコードみたいな話。

たとえば、
吉原の風俗や、幕府の軍事にかんする情報や、
地震の被害などを描くことは禁じられたのですね。
でも、見る人が見れば分かるような描き方をしてる。

ある意味では、
謎解きそのものがエンターテインメントになってて、
いまでいうなら「ネタ探し」の楽しみだったのかも。



幕府の取り締まりが厳しかったのは、
当時の江戸にとって激動の時代だったからでもある。

先日のドラマでは、
あまりくわしく描かれませんでしたが、
広重が『名所江戸百景』を制作した晩年期は、
いろんなドラマになりそうな要素が多い。

1835年(天保6)天保の大飢饉が激化。
1841年(天保12)天保の改革がはじまる。
1849年(嘉永2) 葛飾北斎が享年89で死去。
1853年(嘉永6)黒船が来航。品川台場(お台場)を築造。
1855年(安政2)安政の大地震。
1856年(安政3)広重が『名所江戸百景』の制作を開始。
1858年(安政5)安政コレラが流行。広重が享年62で死去。


梶よう子の原作は読んでませんが、
ドラマ「広重ぶるう」は続編が出来そうな気もします。



とくにドラマティックだったのは、御殿山のエピソード。

幕府は、黒船の再来航に備え、
お台場(砲台)を建設するために、
御殿山の土を削って海を埋め立てたのですね。

以下は「浮世絵ミステリー」のナレーションです。

この御殿山の土取りは、広重に強い衝撃を与えます。
江戸百を描いた晩年には《名所絵の巨匠》と評された広重。じつはかなり遅咲きの絵師でした。デビューは16歳。火消しの仕事を続けながら、美人画や役者絵を手掛けますが、20代はまったく泣かず飛ばず。
転機が訪れたのは35才。『東都名所』という江戸の名所を描いた10枚シリーズを発表。それがちょっとしたヒットとなります。このなかで広重が取り上げたのが《御殿山の桜》でした。
広重は、この名所絵という新しいジャンルに自分の道を見出します。そして火消しの仕事を離れ、画業1本で生きることを決めたのです。(浮世絵ミステリー「東京前夜〜広重の暗号〜」)

御殿山に桜が植えられたのは4代将軍家綱のころ。

御殿山の桜は、
広重が絵師として出世するきっかけであり、
広重が世間にひろめた新しい名所であり、
武士も町人もともに楽しめる天下泰平の象徴だった。

そんな思い入れのある場所が、
無惨にも軍事砲台を築造するために削られたのです。


「御殿山」の土を削って「お台場」を作った。


土を運ぶ日雇い労働も苛酷であり、
その築造費用は不況にあえぐ庶民を苦しめたらしい。

フジテレビのあるお台場って、そういう場所なのね。



もうひとつのドラマティックなエピソードは、
やっぱり安政の大地震です。

広重の『名所江戸百景』は、
震災の半年後に制作がはじまってるけど、

火消しだった広重は、
地震で発生した江戸各地の火災被害に、
とくに心を痛めたようです。

この被害に、広重は人一倍の思いを抱いていました。
じつは広重は下級武士。27才で家督を譲るまで火消しの任務に当たっていたのです。生まれは、江戸城近くの八代洲の武家地にある火消し屋敷。わずか13才で両親を亡くし、定火消し同心として家族を養うことになります。定火消し同心は、武家地で火事が起きたとき現場にいち早く駆けつける最前線の指揮官です。22才のときには、小川町の火事で活躍し評価されるほど真摯に火事と戦っていました。
安政の大地震でも火災は30カ所以上で発生し、とくに大きな被害を出したのが四方蔵一帯でした。火消しだった広重にとって、ここは外せない場所だったのです。
(浮世絵ミステリー「東京前夜〜広重の暗号〜」)

なお、先日のドラマを見ていても、
広重の住む地区と北斎の住む地区は違う気がしたけど、
やはり「武家地の火消し屋敷」ってのがあったんですね。



広重の『名所江戸百景』は、
ひとつには、震災からの復興を願って、
被災前の江戸の姿を再現するのが目的だった。

でも、それと同時に、
複雑な水運網に支えられた江戸の経済システムを、
絵で視覚化することも意識してたっぽい。

その証拠に、
ウォーターフロントを描いた絵が多いし、
埼玉の川口とか、千葉の浦安とか、
江戸の外側の風景まで『名所江戸百景』に含まれてる。



江戸の水運を描いた絵のなかで、
わたしの目に留まったのは「中川口」の絵です。
中川と小名木川の合流点が描かれてる。

小名木川は、
もともと家康がつくった運河であり、
千葉の行徳塩田から旧利根川を経て、
江戸までを繋いだ「塩の道」なのですね。

そして、
中川と小名木川の合流点には船番所があった。
船の通行を取り締まる関所です。


わたしがこれを見てピンと来たのは、
去年のドラマ「何曜日に生まれたの」のこと。
野島伸司がテレ朝で書いたナンウマ!

飯豊まりえの演じる主人公は、
習志野市から江東区に引っ越した設定でしたが、
スカイツリーの見える「江東新橋」から、
旧中川をすこし北上した西岸のマンションに住んでた。
https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202308200000/

そこは、
広重が描いた「中川船番所」のすぐ近くなのよね。



あのドラマのなかに、
東京の川や千葉の海がよく出てきたのは、
広重が水運に注目した発想と似てる気がします。


荒川から分岐する旧中川の「船番所」から、
墨田川のほうへ直線で東西につなぐ運河が小名木川。
旧中川を北上すると「江東新橋」がある。
ナンウマの主人公は、習志野市谷津から江東区に引っ越した設定。
スカイツリーのすぐ近くです。その中間にかつての行徳塩田がある…。



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最終更新日  2024.07.23 03:27:28


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