カテゴリ:北斎と葛飾応為の画風。
先日は、
ドラマ「広重ぶるう」を放送してましたが、 NHKは、 あべのハルカスの美術展にあわせて、 広重の番組をまとめて放送してるのね。 今回の「歴史探偵」では、 おもに東海道五十三次のことを取り上げて、 さらに、 4年前の「浮世絵ミステリー」の再放送では、 おもに江戸百景のことを取り上げてました。
◇ 2つの番組を見ましたが、 先日のドラマとくらべても、 広重のイメージに大きな矛盾はなかったです。 やはり、 市井の人々のユーモラスな姿を描いて、 絵のなかに共感性のある物語を作ってました。 ただし、名所絵は、 たんに写生するだけが目的じゃなく、 いわば旅行ガイドでもあるので、 いろんなデフォルメや演出や編集はしてたっぽい。 本人いわく、 寫真をなして、これに筆意を加うる時はすなわち画なり (写実描写に、筆者の意図を加えてこそ絵になるのだ) …ってことのようです。 ◇ たとえば、 ひとつの画面のなかに、 その土地の風物を無理やり収めるべく、 現実にはありえない構図をつくったりしてる。 これは一種の映像編集ですね。 先日のドラマでは、 ありえない構図で「神奈川沖波裏」を描いた北斎に、 広重がツッコミを入れるシーンがありましたけど、 それと同じことを広重もやっていた。 ほかにも、 雪の降らない土地に雪を降らせるとか、 風景はそっちのけでグルメ情報にフォーカスするとか、 そういう演出をやってます。 ◇ 広重の『東海道五十三次』は、 旅行ガイドであり、疑似旅行メディアでもあった。 実際に東海道を往復したら、 その旅賃は現在の金額で30万円くらいだったらしいけど、 浮世絵を買えば1枚500円くらい。 全55図をコンプリートしたら3万円くらい。 つまり、3万円の浮世絵で、 30万円分の旅行気分を味わえたのですね。 ◇ 晩年の『名所江戸百景』では、 幕府の取り締まりをかいくぐるために、 さまざまな暗示的な表現も駆使してたようです。 ちょっとダヴィンチコードみたいな話。 たとえば、 吉原の風俗や、幕府の軍事にかんする情報や、 地震の被害などを描くことは禁じられたのですね。 でも、見る人が見れば分かるような描き方をしてる。 ある意味では、 謎解きそのものがエンターテインメントになってて、 いまでいうなら「ネタ探し」の楽しみだったのかも。 ◇ 幕府の取り締まりが厳しかったのは、 当時の江戸にとって激動の時代だったからでもある。 先日のドラマでは、 あまりくわしく描かれませんでしたが、 広重が『名所江戸百景』を制作した晩年期は、 いろんなドラマになりそうな要素が多い。 1835年(天保6)天保の大飢饉が激化。 1841年(天保12)天保の改革がはじまる。 1849年(嘉永2) 葛飾北斎が享年89で死去。 1853年(嘉永6)黒船が来航。品川台場(お台場)を築造。 1855年(安政2)安政の大地震。 1856年(安政3)広重が『名所江戸百景』の制作を開始。 1858年(安政5)安政コレラが流行。広重が享年62で死去。 梶よう子の原作は読んでませんが、 ドラマ「広重ぶるう」は続編が出来そうな気もします。 ◇ とくにドラマティックだったのは、御殿山のエピソード。 幕府は、黒船の再来航に備え、 お台場(砲台)を建設するために、 御殿山の土を削って海を埋め立てたのですね。 以下は「浮世絵ミステリー」のナレーションです。 この御殿山の土取りは、広重に強い衝撃を与えます。 御殿山に桜が植えられたのは4代将軍家綱のころ。 御殿山の桜は、 広重が絵師として出世するきっかけであり、 広重が世間にひろめた新しい名所であり、 武士も町人もともに楽しめる天下泰平の象徴だった。 そんな思い入れのある場所が、 無惨にも軍事砲台を築造するために削られたのです。
「御殿山」の土を削って「お台場」を作った。 土を運ぶ日雇い労働も苛酷であり、 その築造費用は不況にあえぐ庶民を苦しめたらしい。 フジテレビのあるお台場って、そういう場所なのね。 ◇ もうひとつのドラマティックなエピソードは、 やっぱり安政の大地震です。 広重の『名所江戸百景』は、 震災の半年後に制作がはじまってるけど、 火消しだった広重は、 地震で発生した江戸各地の火災被害に、 とくに心を痛めたようです。 この被害に、広重は人一倍の思いを抱いていました。 なお、先日のドラマを見ていても、 広重の住む地区と北斎の住む地区は違う気がしたけど、 やはり「武家地の火消し屋敷」ってのがあったんですね。 ◇ 広重の『名所江戸百景』は、 ひとつには、震災からの復興を願って、 被災前の江戸の姿を再現するのが目的だった。 でも、それと同時に、 複雑な水運網に支えられた江戸の経済システムを、 絵で視覚化することも意識してたっぽい。 その証拠に、 ウォーターフロントを描いた絵が多いし、 埼玉の川口とか、千葉の浦安とか、 江戸の外側の風景まで『名所江戸百景』に含まれてる。 ◇ 江戸の水運を描いた絵のなかで、 わたしの目に留まったのは「中川口」の絵です。 中川と小名木川の合流点が描かれてる。 小名木川は、 もともと家康がつくった運河であり、 千葉の行徳塩田から旧利根川を経て、 江戸までを繋いだ「塩の道」なのですね。 そして、 中川と小名木川の合流点には船番所があった。 船の通行を取り締まる関所です。
わたしがこれを見てピンと来たのは、 去年のドラマ「何曜日に生まれたの」のこと。 野島伸司がテレ朝で書いたナンウマ! 飯豊まりえの演じる主人公は、 習志野市から江東区に引っ越した設定でしたが、 スカイツリーの見える「江東新橋」から、 旧中川をすこし北上した西岸のマンションに住んでた。 https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202308200000/ そこは、 広重が描いた「中川船番所」のすぐ近くなのよね。 ◇ あのドラマのなかに、 東京の川や千葉の海がよく出てきたのは、 広重が水運に注目した発想と似てる気がします。 墨田川のほうへ直線で東西につなぐ運河が小名木川。 旧中川を北上すると「江東新橋」がある。 ナンウマの主人公は、習志野市谷津から江東区に引っ越した設定。 スカイツリーのすぐ近くです。その中間にかつての行徳塩田がある…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.23 03:27:28
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