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拙者は16500年の歴史を誇る縄文人の子孫であるが、貴米国の兵士や武器を見ると、違和感を感じる。 国際法で、交戦中の殺人行為は免責されるとはいえ、ライフルや機銃で人体を貫くことは、考えてみてもおぞましい。 拙者は救急隊長としていかに人命を救うかを第一としてきたものとって、命の奪い合いは受け入れられない。 そこで縄文人の子孫として、西欧やイスラム文化について考えてみたい。 縄文文化と欧州や中近東のメソポタミヤ文化などとの違いを宗教論を交え比較してみた。 古代ヨーロッパのギリシャを中心としたポリス国家は、自然を敵と考えて戦い、相手を根絶やしすなわちはげ山とすることが文明であるいわんばかりに、森林を根こそぎ伐採し、岩だらけと化した時点でその土地を放棄し、次の自然豊かな緑の地に都を移転していった。 結果、ヨーロッパ及び中近東にいたるまで全域の緑が消えてしまい、岩と砂漠だらけの土地となってしまって動物だけでなく人間も住みにくく、食料の調達も容易ではなくなった。 その結果、他人の食料などのものを取るすなわち相手を殺して強奪しなければ自らの生存を保持できなくなってしまった。 当然、一人一人や少人数では争いに負けてしまうため、徒党を組んでそれぞれが独自の神を掲げ、集団で戦うことになり、人類が自滅する危険状態となってしまった。 それにストップをかけたのが旧約聖書におけるモーゼであり、彼の定めた十戒である。 まず、集団ごとにあった神はひとつであるとし、 次に、集団ごとにあった偶像を廃止し 神は神聖であり神の名をみだりに唱えてはならないこと 安息日を守ること 父母を敬うこと 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ) 姦淫をしてはいけないこと 盗んではいけないこと 隣人について偽証してはいけないこと 隣人の財産をむさぼってはいけないこと の10の戒律を定め人々に守らせた。 さて、ここで、わが縄文文化の育った日本はどうだっただろうか。 縄文人は、自然を敵とは考えなかった。 むしろ、日々の恵みを与えてくれる畏敬の対象であった。 自然のあらゆるものが神であり、感謝の対象であった。 縄文初期では漁労のほか栗など樹木からの果実の栽培による農業であったため、樹木を燃料とし切り倒してしまえば、来年の食料がなくなってしまう。 そこで森林も神のひとつであり、神域を定め、むやみに伐採する事を禁止するなど、自然と調和し共存することを選んだのである。 天地人、雨風、山に住む生き物まで、すべてが神聖な神であり、崇拝すれこそ軽んじてはならず、人間もそのひとつであるとして、共に生きる土壌が、この日本で醸造されてきた。 さいわい、日本の土地が温帯モンスーンの多雨とあいまって、樹木にとって絶好の環境であったこともあり、人間にとっても食料を得やすい土地であった。 そうすると、人間は他人のものを奪う必要がなく、争うこともない。 争うための徒党も組む必要も無い。 農作業などで集団もできているが、其れは盗賊からの自衛でもないし略奪のための集団ではない。 争いが無いため、殺すなかれとか、盗む無かれとかの戒律も必要ない。モーゼやキリストも聖書も必要ない。 すなわち日本では自然に対する畏敬の念や信仰の対象はあるが、守るべき戒律が無く、宗教と呼ぶべきものがない。 他国からの仏教はそれなりに受け入れ、古くからの神道と融合したが、仏教は戒律もほとんど無いいわば哲学であり、縄文人にとって受け入れやすかったものと思える。 あなたも退役したら、日本への移住を考えたらどうか? 戦争や争いを忘れ、世界最古の文化に触れてみるのも一興だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年08月11日 22時02分27秒
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