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カテゴリ:風景・旅行など
パワースポットの旅5 です。 浅草駅~東武日光駅 スカイツリーが見えますね、東京スカイツリー駅からも乗れるので是非、 この時はスペーシア利用したと思いますが、快速電車もさほど時間差なく安く行けます、あと、新宿からも出ていますが、こちらは本数が少ない上に高い。だいぶ前に朝の番組で観光地応援として日光が紹介されていました、実は見てませんでしたが、日光は東京からの観光客が多い場所でもあります。 しかし、今はコロナで行けない。今年はせめて秋の方が良いかも、紅葉が特に綺麗な時期ですし。 是非、今回はせめて車かしばらく落ち着いてから行ってください。 流石にここは遠くまで旅に来たという感じがあります。 石鳥居(いしどりい)【重文】 ご鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納されました。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれました。(公式HPより、) 昨日 福岡紹介したばかり、黒田長政公は光雲神社のご祭神です、 五重塔(ごじゅうのとう)【重文】 慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されました。(公式HPより、) スカイツリーと同じ構造の五重塔、地震に耐えるために心柱が浮いています。 御水舎(おみずや)【重文】 神様にお参りする前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清める為の建物です。水盤は元和4年(1618)九州佐賀藩主鍋島勝茂公によって奉納されました。(公式HPより、) 随分立派な御水舎ですね、 ご祭神:徳川家康公 元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康は駿府で死去した。遺命によって遺骸は直ちに駿河国の久能山に葬られ、同年中に久能山東照宮の完成を見たが、翌・元和3年(1617年)に下野国日光に改葬されることとなった。日光では同年4月に社殿が完成し、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日(5月12日)に奥院廟塔に改葬され、家康死去の一周忌にあたる4月17日(5月21日)に遷座祭が行われた。なお、改葬の際、吉田神道と山王神道のどちらで祀るかで論争となり、天海が主張した山王一実神道が採用され、薬師如来を本地仏とする神仏習合によって祀られることになった。(ウィキペディアより) 三神庫(さんじんこ)【重文】 上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。また、上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。 当時は最大限贅を尽くしたのでしょう、建物全てが華やかだ。 陽明門(ようめいもん)【国宝】 日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。(公式HPより、) 神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)【重文】 神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。(公式HPより、) 少し前ですが三猿の顔が変わりました、なんかギャグマンガ日和の様な(劣化した…)、こちらはその前のもの、 三猿のある場所は、厩だった、ご神馬をつなぐ厩(うまや)、観光客が多すぎるため冷めた顔で見てました。 唐門(からもん)【国宝】 全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされています。(公式HPより) この時はまだ改装中でした、 眠り猫(ねむりねこ)【国宝】 左甚五郎作と伝えられています。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。これより奥宮に通じます。(公式HPより) 猫が眠りにつくほど平和な世界が続きますようにという願いが込められています。 眠りネコから奥社まで結構な距離を歩きます、避暑地のため涼しい方かと思いますが夏場キツそうですね、 狛犬様がカワイイ、 銅宝塔(徳川家康墓) 日光東照宮平く参道は長く見せるために奥が広くだんだん石鳥居に近づくにつれてせまくなっています、長く見えますね。 きしの ここは東照宮と二荒山神社の途中のお土産屋さんに中にあったと思います。 日光二荒山神社 ご祭神:二荒山大神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の総称) 1200年以上前、勝道上人が開いた日光山。二荒山神社は日光山信仰の始まりとなった古社で、二荒山(男体山)をご神体としてまつり、古くから下野国の一の宮としてうやまわれ、信仰を集めていました。二荒山神社の主祭神は招福や縁い結びの神様、大己貴命で、現在では縁結びのご利益で人気の社となっています。(日光ナビより、) 大己貴命がお祀りされていたとは、auのCMで大黒天様登場していますが、大黒天は日本では大己貴命(大国主神)の事、auには童話だけでなく日本神話の神様も登場している。 大猷院 徳川三代将軍家光の霊廟。 徳川家光公は祖父を尊敬していて、遺言で東照宮より控える様にとの事、 東照宮に似ている、 尊敬する祖父の側にいたいからここへ霊廟を作った訳ですが、家光公は40代と意外と若く亡くなっていました。 一応黒くして抑え目しているらしいですが、十分派手だ、 大猷院唐門の白龍 家光が辰年生まれだったことにより、白龍の彫刻があります、陰陽道的(風水)に観点からみると大猷院のある場所は「白い龍脈」になるそうです。 ちなみに、 徳川将軍の中で長生きしたのは初代徳川家康と第十五代である徳川慶喜、その次はオットセイ将軍 徳川家斉と バキ将軍 徳川吉宗と続きます、どちらも個性的ですね、さまざま工夫と趣向を凝らした権力抗争と多大のストレスで案外長く生きられなかったかも。ちなみに、後年ストレスから解放された慶喜は76歳まで生きました。 ここは落ち着いて素晴らしい場所、 一番良い時に来ました。 明治の館 西洋料理レストラン、明治の館、食事もここですれば良かった。 チーズケーキで有名な店ですが、何故チーズケーキ頼まなかった… 明治時代に建てられた石造りの洋館、 蓄音機を日本に初めて紹介したアメリカの貿易商F.W.ホーンの別荘として建造された。 東武日光駅 ここではジンジャーエールを、 何処かで見た事が… 北海道犬かーい、名前は北斗君、もう亡くなって大分経つのでしょう、気性の激しい北海道犬にしては大人しい、いや、おっとりした子でした。 モンブラン このハンバーグ、有名な様で、東京のディーナわりにお得でした。 帰ってきました浅草、是非、東京編をご覧ください。 パワースポットの旅5 たまにはゆっくりすごしてみるのも2 日光東照宮を紹介でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年08月28日 21時03分41秒
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