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カテゴリ:風景・旅行など
月落ちて天を離れず。
10月1日は中秋の名月 ♪つぎの夜から 欠ける満月より… ♪つぎの夜から 欠ける満月より/14番目の月が いちばん好き。 ▼<この世をばわが世とぞ思ふ…>と詠んだのは藤原道長。この世界は私のためにあるようなもので、満月のように欠けたところは一つもない-と権勢の絶頂で ▼道長は晩年、重い病に苦しんだそうだ。藤原氏の栄華もやがては失われていく。盛者必衰の定めは歴史が示す通り。やはり、頂点の一歩手前くらいが良さそうだ ▼万葉の昔から月を愛(め)でてきた日本人。今も十五夜にはお月見の風習が残る。縁側にススキを飾り、団子や里芋を供えて月を眺める。すると、月にすむウサギが餅をつく姿が浮かび上がってくる気がする ▼所変われば満月の模様も。インドではワニ、モンゴルはイヌ、アラビアはライオンに見えるのだとか。欧州ではカニやロバ、本を読むおばあさん、横向きの女性、薪を担ぐ男性…。人々はそれぞれの文化や暮らしに根付いたものを月の陰影に見いだすのだろう ▼お月見には収穫の感謝や息災の願いも込められたという。今宵(こよい)は何を思って空を仰ごう。月の表に描きたいのは、コロナ禍で欠けた日常を取り戻した元通りの世界か。天気予報は晴れ。美しい14番目の月が見られそうだ。(春秋 2020.10.1 西日本新聞より、) 国によって月にいるものが違いますね、そこの文化が反映されています。 うさぎという可愛らしいイメージは日本と中国だけ、ウサギが月にイメージは奈良時代から、仏教が伝わった頃でした。 仏教説話にはこんな事が… 仏教説話 猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。(ウィキペディアより、) いや、怖い、チコちゃんに叱られる!でも怖かった、大分オブラードですが。 「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」 春秋に載っていた藤原道長歌、有名な歌で藤原氏の繁栄を高々に謳ったものでした、しかし、この後に繁栄を極めた藤原氏は徐々に衰退する事に、藤原道長歌はまさに15日目の歌だったかもしれませんね。 見事なお月見団子…こちらをgetしたのでまた紹介します。 「今回は何時もと違う僕が月だよ。」 ツクヨミ(ツキヨミ)様、月の神であり、農耕の神とされています、農耕で生計を立てて来た我が国 日本では農耕の神は多数おられます、正、今回の14日目の月である今回は違うようです… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年10月02日 21時20分55秒
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