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令和3年3月3日 ひなまつり
何でもこじつけるのですね、記念切手や記念切符が発売されましたし、婚姻届けの提出も多かったそう。しかし、新元号になれば必ずありそう、多分、124年振りの2月2日の節分程は無いと思う。 こちらは家のちらし寿司、凝ったものは作れませんよ、最近、ポテサラ論争に続き、刺身をそのまま出すか皿に乗せるか論争に、そうではなくて、言い方が問題だと思う。お刺身をそのまま出す事じゃない、それ以前から不満をもっていたに違いない…ちゃんとお互い話して言いたい事は言いましょう、黙っていても話が通じる訳が無い、マツコ・デラックス曰く、”隣の人でも分らないのに夫婦わからないのは当然でしょう。” それから、ひな祭りと言えばちらし寿司ですが、元々ひな祭りには鮒ずしを食べており、江戸時代ごろからちらし寿司になったとか、 ・令和3年3月3日の秘密!ひな人形のお殿様とお姫様は古事記のあの神様だった! ・令和3年3月3日ひな祭りの秘密と実践ポイント ・令和3年3月3日ひな祭りの本当の意味は「禊払い」 何度か書いた事がありますが、最近になってYouTubeで急に語られる様になりました。以前は情報がほとんど載ってなくて知る人が知る事実でしたが。 おさらい、 ひなまつりは「神事」神さまにお祈りする儀式に由来します。 日本最古の歴史書「古事記」に記されているように、男雛は根 (ね)の堅州 ( かたす )国 (くに)を治める須佐之男 ( すさのおの )命 (みこと)、女雛は高天 (たかま)の原 ( はら )を治める天 ( あま )照 (てらす)大神 (おおみかみ)。 伊邪那 (いざな)岐 (ぎの)命 (みこと)の禊ぎから生まれた子供で、姉と弟という関係で、ちなみに三人官女、五人囃子は、この二人が誓約をして、お互いの持ち物から生み出したのが女神三人、王子五人だった事に由来します。 江戸時代になり精巧な人形が製作され、近代なってご成婚の儀の御姿が一般にみられるようになり、御雛様はご結婚の姿になったと思われます。 以前書いたのでこれ以上は書きませんが、意外に3月3日ひなまつり関連を投稿した事はありませんでした。 2019年10月22日に令和 即位の礼が行われたばかり、おそらく皆様も記憶に新しいですね。皇室の婚礼や即位の礼等、雛人形がモデルなったとおもわれます。 ちなみに、即位の礼の最初は推古天皇時代に隋、当時の中国から取り入れたのだとか、ただし、儀式が記録された最初の例は朱鳥4年正月1日(690年2月14日)の持統天皇の即位礼でした。 それから、推古天皇、持統天皇どちらも女帝です、当時は男子が成人になるためのつなぎの役割でしたが、即位の礼が女帝の時代に記録されたりもたらされたのは意外でしたが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年03月03日 22時22分28秒
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