|
カテゴリ:風景・旅行など
2021年 香椎宮と小烏神社 小烏神社
です。 不老水 「ふろうすい」。本殿から北方の山手に所在する霊泉。別名を「御飯(おいい)の水」「老(おい)の水」とも。「不老水」の泉名は、仲哀天皇・神功皇后に仕えた武内宿禰が、この泉の水を汲んで食事・酒を調えて300歳以上という長寿を保ったことによるといい、天平宝字2年(758年)に井戸が補修された際にそう名付けられたとする。一帯は武内宿禰が居住した地として「武内屋敷跡」と称される。この不老水は、毎年正月に綾杉・椎茸とともに皇室に献上される。昭和60年(1985年)には名水百選に選定された。(ウィキペディアより、) この泉の水を汲み仲哀天皇・神功皇后の食事と酒を調えた家臣、武内宿禰は三百余歳の長寿を保ち得たと伝えられます。(公式HPより、) 再び香椎宮です、この絵はパンフレットにも描かれています、不老水の横に飾られていました。 香椎宮起源の地 古宮 仲哀天皇が国家鎮護の拠点とした橿日宮の跡地。かつては香椎廟と呼ばれ、地名となった御神木「香椎」は今もここに残ります。(公式HPより) …少し書くか迷ったのですが、古宮にお参りして出口へむかうと、古代の甲冑を着て金の冠を付けた女神様が現れました、しかも、ジェンティルドンナ風の馬に騎乗しているお姿で、基本的に普通は人には神様は絶対に見えないとさえれていますし、妄想かと思ったのですが。それから、繁殖牝馬になったもののジェンティルドンナはまだ生きています、それに見た目が似たような馬だと思いますが、もし、神功皇后さまだとすると馬の性格が気に入った様です。…まあ、そこところがよく分かりません。 祭神:中臣烏賊津大連 例祭:7月8日 仲哀天皇・神功皇后に仕えた五大臣の中臣烏賊津大連命(なかとみのいかつおおむらじのみこと)をお祀りし、勝負運向上 武芸上達の御神徳があるとされます。(公式HPより、) 朽瀬神社 祭神:羽田矢代宿祢(武内宿祢の子、社家本郷氏の祖) 例祭:7月24日 武内大臣の御子であり、本郷氏の祖神である羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)をお祀りします。(公式HPより、) 勅使道 香椎宮から西に伸びる参道は、「勅使道(ちょくしどう)」と称される。古くは神の道として、勅使参向ならびに神幸式の時のみに使用されたという。この勅使道は、頓宮や境外末社濱男神社を経て海岸まで約1キロメートル続く楠の並木道であるが、この並木は大正15年(1926年)に楠の苗木が奉献されて整備されたことによる。勅使道の先には神功皇后ゆかり地という御島(みしま:境外末社御島神社が鎮座)があり、この御島に対峙して陸側に浜鳥居が建てられている。なお、かつての海岸線は頓宮や境外末社濱男神社の付近にあったが、現在までに埋め立てが進んでいる。この勅使道付近一帯では、兜塚・鎧塚・馘塚(みみつか)など神功皇后に関わる伝承地が分布する。(ウィキペディアより、) 天皇の使者のための道であることから勅使道と呼ばれ、2年に一度の神幸式も斎行される、楠木の景観が美しい参道です。(公式HPより) それから、パワースポット一人旅で石清水八幡宮を載せております、石清水八幡宮は日本三大八幡の一つです、他は 宇佐八幡宮、 鶴岡八幡宮、筥崎八幡宮 完全に三大じゃありません、これは色々大人の事情が…三大〇〇にありがちなせっていですが。 香椎宮は八幡神をお祀りしております、ですが、仲哀天皇の霊廟で「香椎廟(かしいびょう)」や「樫日廟」などと称されております。正、石清水八幡宮と同じようなご利益がありますのでよろしくお願いいたします。ただ、八幡系の神社は最も多い神社の一つなので近所の八幡様を調べてみて行かれてはいかがでしょうか。 ”この御朱印紙は10年に1度斎行される香椎宮勅祭において天皇陛下の名代「勅使(ちょくし)」が奏上される「御祭文」の意紙と同じ鬱金(うこん)染めの紙を用しています。(次回の勅祭は令和七年予定)” 今、コロナで直接御朱印に書けないようで用紙でした、まさかこの様な仕様とは思いませんでしたが。 Rusa Ruka(ルサルカ) 当店はパンケーキの本場アメリカのママが昔から焼くようなクラシックでスタンダー 多分ここへは2時間近くいたと思う、滞在時間がいちばん多かった、そもそも、パンケーキを焼くのに30分かかりますし。ドなどこか懐かしいホームメイドパンケーキを目指しております。 バターとミルクの風味が香る、ほんのり甘くて冷めても硬くならないフワフワです。デザート系にもお食事系にも合うように、粉のブレンドにこだわりました。(Rusa Ruka 公式HPより、) 孤独のグルメでカステラパンケーキを見た時から、ここへ訪れたてみたかったです、ルサルカは東京の自由が丘にもありますので一度行かれてみてはいかがでしょうか。 だからこそ、パンケーキは申し分ないくらい美味しかった、むしろ、バターとメイプルシロップだけで十分では、アイスやジャムやクリームがいらないくらい、しかし、味変には良いかもしれません。ただ、ボリュームはかなりありますが…恐らく孤独のグルメでのパンケーキは今回のものと全く違うものですが、見た限り相当なボリューム。よく松重さんは食べられましたね。正、今回コーヒーはそれ程では、最近、キーコーヒーのアイスコーヒーを飲んでいるせいかかなり味が薄かったですね。 小烏神社 小烏神社の由来 当社の祭神は、「建角身神」といわれていいます。建角身神は、神産霊神のお孫神で神徳高く、国土開拓のため産霊の威徳をもって、神武天皇ご東征の折には、皇軍を導かれ、賊軍の説得に努め、多大の功績をたてられたといわれています。その建角身神を祭神とする当社は、古来より薬院の地に鎮座する地方の古社で建国創業の神として、地方開拓の産霊祖神として村人の信仰を、集めていたと、いわれていいます。明治五年十一月三日、村社に指定されましたが、その当時の薬院村には、古小烏、南薬院、汐入町、原の町、上出口町、中出口町、岩戸町、中庄町、小森町がありました。なお、現在では家内安全、商売繁盛、子供の守り神として、地域住民から多くの信仰を集めている氏神様であります。 元旦会 一月一日、春祭 桜祭り 、夏祭 八月七日、秋祭 十月十九日、七五三祭 十一月十五日 地元TVで紹介されていて見て行きたくなりました。 八咫烏(建角身神)が主祭神の神社、建角身神は下鴨神社のご祭神でもあります。過去に投稿された分を観たのですが石柱が倒壊したままでしたが、今は再建されいる様でした。 八咫烏とは(小烏神社のご祭神) 当社のご祭神、健角身命は、神武天皇(神日本磐余彦命)が東征の折に、高御産巣日神・天照大御神の命により、八咫烏に化身し、皇軍を導かれ、大和国平定へ多大な功績をたてられました。 ・八咫烏の大きさ 咫(あた)とは長さの単位です。一咫は8寸のなので、両翼八咫(やあた)は64寸×3㎝=2mもある古代神話に登場する大きな鳥です。 ・太陽の化身 三本足の烏 天の中心である太陽には三本足の烏が棲み、太陽の化身として、古代より人々から絶大な崇拝を受けてきました。太陽は天の火であり、人類創生の根源、命の根源と考えられてきました。 陰陽思想では、陽は奇数、陰は偶数とされ、特に『三』という数は、奇数のなかでも神聖なものとされています。天、地、人の三極は宇宙構成し、万物の生成と調和を意味する神聖な数字と考えられてきました。又、八咫烏が太陽に棲んでいると思われたわけは、烏が日の出と共に現れ、夕方日の沈むころに根倉に帰る習性から考えられたのではないかと言われています。 ・神の使いの鳥 八咫烏はめでたいことが起こる前ぶれとして現れる端鳥であり、神の使いとして神意を表し、又未来を予知する霊力に優れています。 ・導きの鳥 八咫烏は導きの鳥として先達・リーダーにふさわしい勝利の神です。(日本サッカー協会のロゴマーク) 又、八咫烏は賢い鳥で道や物事の方向や行く末見定め、人々に慈愛の心をもって接してきました。 ・皇室との関わり 高祖神は太陽神・天照大神であります。八咫烏は日の御子である初代天皇・神武天皇を導いた建国神話のヒーローとして、皇室の儀式に使う旗や天皇の礼服に八咫烏がデザインされています。 体長2mってかなり大きい、そう言えば5年くらい前に病院に見舞い行った時に、窓側に烏にしてはあまりにも大きすぎる烏が頭に浮かんだ事がありました、嘴が細いハシボソカラスぽくて羽先に行くほど青く、羽をたたんでも普通の鷹なんかよりもずっと大きく、翼を広げるどれくらいになるのか思うくらい…正、すべて一瞬のイメージですが。 最近も自宅で似たよな鳥を見ましたし、だからこそ、余計にここを訪れなくては思ったのも。そう言えば、地下鉄降りた時にも、降り口向かって大きな鳥が飛んでいきました。こちらもただの想像の産物にしか過ぎないと思いますが、そんなの絶対にあり得ないとか、絶対に頭がおかしい思うのが9割9分なので、こちらも書こうか迷いました。 …話は変わりますが、とあるユーチュブチャンネルで、幽霊見える方も学生時代にご友人ぼんやり見えたのにも関わらず、はっきり褌の人が見えると言うと、”頭大丈夫?”と言われたくらいですから。ご友人はその方に比べ見えてもぼんやりしか見えず、その大元が見えてないてない様でした。霊感なんてものは個人差がもしかしら個人差がある様で… こちらでお参りする時も、最寄りの地下鉄があるのですが降りて外へ出た途端に小雨が降り出しました、ただ、てすぐに止みましたしが。ここは初めて道でしたが、直ぐに神社にたどり着けました。 境内に入ると風が吹き始めて、小雨が降るのも風が吹くのも一般的に歓迎のサインらしいですが。 後、少し経ってからですが、電車に乗っ手還る時に豪雨と激しい雷が、ですが、駅を降りた時はぴったりと止みました。一体なんだったのでしょうか?しかし、梅雨明けの夏場は時期的にゲリラ豪雨が多いからですからたまたまでしょう。後で前日お話したとおり、数日前に香椎宮に雷が落ちたと知りましたが、どこまでどうかは分かりませんが。豪雨の時は電車の中でしたが、親子連れ乗っていて、落雷がすぐ近くで落ちたにかかわらず赤ちゃんは動じずスヤスヤと…この雷には何事も無いと思ってましたが。 この日は色々な事が立て続けには起りましたが、それは偶然で意識しなければ何もなく、それを信じるか信じないかさえよく分らない様で。 小烏神社の本殿他6件が令和元年7月19日(金)に国の登録有形文化財(建造物) に登録されました。 こちらも過去の投稿には見られなかったものでした。 福岡県昭和前 1929木造平屋建、銅板葺、建築面積20㎡1棟、天神近郊住宅地の丘陵にある神社。 本殿は境内後方の高台に建つ。三間社流造銅板葺で、四方に高欄付切目縁を廻し、向拝廻りに浜床を広くとる。妻飾は虹梁に豕扠首、組物は身舎四隅及び向拝を出三斗とする。全体に装飾を抑えた、端正な意匠の本殿。(文化遺産オンラインより、) 時間帯の為か御朱印は頂けませんでしたが、友人曰く、香椎宮の御朱印が強すぎて遠慮したとのこと。本来の平日だった事と、昼過ぎでしたし、たまたま人がいなかったのではと思っています。 登録有形文化財(建造物)の裏からの写真、建築の事はよくわかりません。
↓↓↓こちらは7月24日の昨日の月です、かなり空気が澄んでいて綺麗でしが、カメラの性能が悪いのでこれ位が限界でしたが。 2021年 香椎宮と小烏神社 小烏神社でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年01月27日 09時09分04秒
コメント(0) | コメントを書く
[風景・旅行など] カテゴリの最新記事
|