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2021年11月28日
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カテゴリ:風景・旅行など
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​2021年 秋の竈門神社と坂本八幡宮​
です。
以前から竈門神社の紅葉が観に行きたかったので今回思い切って行ってみました。
​竈門神社​
「神鹿園」のシカさん、こっち向いてくれました。
ちなみに、1枚目、2枚目の写真は心霊写真のように見えますね、後で元データを確認したところちゃんと人が拝殿で拝む姿だった、二枚目は階段を掃除している方、乗せる際に画素数落としているの不鮮明に見えてしょうがないですね。
平日休みを取れましたので去年はコロナで行けなかった竈門神社の紅葉を観に行くことに。
竈門神社の紅葉
例年11月中旬から下旬にかけて、銀杏や楓など約300本の落葉樹が寒暖差の影響を受け徐々に色付き、赤やオレンジなど境内は紅葉の錦で染まります。期間中は夜間ライトアップも行われ、日中とは異なる幽玄の世界をお楽しみいただけます。
これらの木々は、「紅葉上げ」と言って古くからこの地域に伝わる伝統行事で、毎年春に厄年を迎えた周辺地域の人々が、御神前でお祓いを受け境内に楓の木を奉納植樹するという風習によるものです。(公式HPより、)

竈門神社の歴史
天智天皇の御代、九州一円を統治する大宰府政庁が置かれた際、鬼門にあたる竈門山(宝満山)では大宰府また国家鎮護のための祭祀がはじまりました。頂上の上宮が建つ巨岩の下からは和同開珎をはじめ皇朝十二銭や奈良三彩など、奈良時代から平安初期に国家的な祭祀が行われていたことを示す数々の出土品が確認されています。
天武天皇二年(673)、開山心蓮上人が山中で修行中、にわかに山谷震動して貴婦人が現れ、「われはこれ玉依姫の霊、現国を守り、民を鎮護せんために、この山中に居すること年久し。」などと告げ、金剛神に姿を変じ九頭の龍馬に駕して天を自在に飛行しました。心蓮上人は直ちに朝廷にその旨を奏上すると、朝廷の命によって上宮が建立されました。
宝満山が大宰府政庁と密接な関係にあったことから、最澄や空海をはじめ、遣隋使や遣唐使など大陸へ渡る人々が航海の安全と、目標達成のために登拝し、祈りを捧げた山として大切に守られてきました。
中世以降は修験者による信仰が盛んになり、険しくも秀麗な宝満山の姿に多くの山伏が憧れ、厳しい修練を重ね、世の平安と人々の除災招福のための加持祈祷が行われました。
江戸時代の博多の禅僧で著名な仙厓和尚も宝満山に魅了された一人で、頂上下の竈門岩の伝承に深く感銘し「仙竈」の文字を大書して「仙厓敬書」の銘を刻みました。
竈門神社は、承和二十二年(803)に従五位上が授けられ、その後徐々に位階を進め、嘉承元年(1106)には正一位を贈られ、『延喜式』には名神大社にも列せられました。そして明治二十八年(1895)、竈門神社は官幣小社に列せられました。
現代においても、縁結び、方除け、厄除の神さまとして多くのご参拝をいただいているほか、桜や紅葉の名所としても親しまれています。歴史と文化が息づく太宰府の街に、人と人の心が通い合う祈りの山として、これからも大切に守り伝えられていくことでしょう。(公式HPより、)

今年は暑い時期が長かったために紅葉がそれ程綺麗ではなかったです、竈門神社を訪れた親子が「ちょっと来るの遅かった」と言っていましたが、早く来ても遅く来ても今年は変わらなかったのかもしれません。関東より北は綺麗なようですが、西日本は全体的に良くないよう。
御本殿・拝殿
神様のお住まいであり、私たちの願いや感謝の気持ちをお伝えする最も神聖な場所です。現在の社殿は昭和2年(1927)に建てられたもので、檜の流造に銅板葺きが大変美しい荘厳な佇まいで、もみじやシャクナゲなど緑豊かな自然の中に、静かにそして悠然と建ち、私たちを迎えてくれます。平成25年(2013)、千三百五十年大祭の節目を記念し、銅板屋根の葺き替えをはじめとする改修工事が行われ、装いも美しく整えられました。(公式HPより、)

今回は結婚式のカップルを2組ほど見かけました。
11月は特に七五三の時期でもありますが、本殿で祝詞を上げていたり、結婚式等のお祝い事に出会った時は歓迎のサインとされています。
手水舎
今は柄杓を置いておらず、直接手洗いが出来る様に工夫しています、花を飾っている事も、今回、実施に見るのは初めてですね。
末社 五穀社
古来、五穀神は五穀(米、麦、粟、稗、豆)の豊穣を守護し、天地万物の生成、種子の発芽を促す守護神と信じられています。人が志を立て目標に立ち向かい進むとき、その兆しを興し道を切り開くお力を与えてくださると信じられています。(公式HPより、)
末社 須佐社
記紀神話によると、出雲国に至った須佐之男命は櫛稲田姫を守るためヤマタノオロチを勇猛果敢に退治し、「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」という日本で最初の和歌を詠まれ、愛を育み永遠の契を結んでたくさんの子宝にも恵まれました。須佐之男命の勇気ある行動と深い愛情は、良縁成就、家庭円満の象徴として尊ばれています。(公式HPより、)
ここでは関係ないのですが…

【速報】コントレイルが優勝 競馬・ジャパンカップ 引退レースを菊花賞以来の勝利で飾り、G1・5勝目。コントレイルは通算11戦8勝・2着2回・3着1回で、1度も4着以下になることなくラストランを終えた。(ライブドアニュースより、)
良かったこれはいいニュースですね、コントレイルがジャパンカップ勝利、応援したかいがありました。

コントレイルは最弱の三冠馬と呼ばれていたらしい、何だよそれ、11戦8勝、決して悪い成績じゃない。しかも4着以下にはならならないなんて言うのがすごい、しかし、古馬になって勝てなかったためが、SNSではかなり叩かれていたらしい、知らなかった。

ちなみに、コントレイルの馬名は「飛行機雲」、…松任谷由実の「ひこうき雲」が頭に流れました、ジブリ映画『風立ちぬ』の主題歌ですね。

須佐社からの景色、
アニメの聖地 鬼滅の刃
正確な関係性は吾峠や集英社側から明かされていないが、主人公の「竈門炭治郎」の姓と同じ、同神社が大宰府の「鬼門封じ」、同神社の上宮の宝満山で修行する修験者は「市松模様」の装束を着ているが、これは炭治郎の羽織の柄と合致する、金剛兵衛という刀鍛冶の墓がある、作者の「吾峠呼世晴」が福岡県出身であるなどの共通点が複数あることから「鬼滅の刃」の聖地ではないかと話題を集めており、2019年11月頃から鬼滅の刃のブームと共に参拝者が急増している。(ウイキペディアより、)

末社 夢想権之助神社
杖道の祖と称えられる夢想権之助は、江戸時代初期に活躍した剣客で、宝満山中で修業中に開眼し「神道夢想流杖術」を大成しました。現在でも杖道愛好家の方々が御神徳を仰ぎ、毎月の神前稽古で技と心を磨いています。(公式HPより、)

鬼滅の刃の継国縁壱のモデルが夢想 権之助?、彼は唯一宮本武蔵を倒した男とされています。むしろ姿を見ると悲鳴嶼行冥さんぽいですが、悲鳴さんは刀で戦ってないし…
人が結構多かったですね、紅葉もありますが鬼滅の刃効果でしょうか?、御朱印を貰いに人が結構並んでいて、ただ、自分は竈門神社を一巡りしてからから御朱印を貰いに行きました。そうしたら、1人以外誰も居なくて、神社を訪れた時に歓迎のサインとして人払いする事も。拝むと時も他に人が居ませんでしたね。
2組目の結婚式のカップルですね、祝い事は頂きましょう。
末社 式部稲荷社
稲は「命の根」とも表され、「稲荷」は「稲が成る」という意味があります。御祭神の「宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ)」は、私たちが生きていく上で欠かすことができない稲穂の守護神として仰がれ、日々の生業を守護していただける神様です。(公式HPより、)

式部稲荷社は少し怖くて前回行けなかった場所でした、今回はここにも人が結構来ていたの行けましたが、たまに二の足を踏む場所もあります。
​都府楼跡​
四王寺山の南麓、現在も「都府楼跡」の名で親しまれている「大宰府政庁跡」は、菅原道真の漢詩「不出門」の一節「都府楼はわずかに瓦色を看」とも読まれた西海道九国三島を統括し、対外交渉の任にも当たった奈良や京都に次ぐ地方官衙(役所)でした。現在は、発掘調査に基づいて整備がなされ、市民の憩いの場としても多くの人々に愛される場所の一つともなっています。(九州国立博物館HPより、)
​坂本八幡宮​
大伴旅人の邸宅跡と伝えられる、元号「令和」ゆかりの神社
応神天皇をご祭神とし、坂本地区の土地神、産土神として崇拝される。
大宰帥(だざいのそち)として大宰府に赴任した大伴旅人は、730年自身の邸宅にて「梅花の宴」を開いた。元号「令和」は、その時詠まれた梅花の歌三十二首の序文「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」から引用された。大伴旅人邸は諸説あるが、坂本八幡宮付近であったと言われている。(大宰府観光マップ)

令和のゆかりの地、竈門神社からバスで都府楼跡へ降りて、都府楼跡の横道からしばらく歩くと辿り着きます、道が狭い為分かりずらいですが。
令和になった頃は、多く人が訪れていましたが、今は落ち着いている様です、それでも、数組訪れていましたが。
「初春の令月、気淑(うるわ)しく風和らぐ」の文言ゆかりの地として注目を集めている場所、今一度令和の内に訪れてみて下さい。
今回は平日に訪れましたが御朱印やお守り等は郵送も可能です、切手等や郵便物の輸送費用等や手数料が多少かかりますが、10日かかると書かれていましたが、市内なら翌々日には届きました。ぜひ利用してみて下さい。
昔は大伴旅人の邸宅がここにあったとされていますが詳しく調査してみると、どうやらここでは無い様ですね。
2021年 秋の竈門神社と坂本八幡宮でした。​​​​​





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最終更新日  2021年12月03日 20時33分16秒
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