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2021年12月05日
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​「焼豚ラーメン 博多辛ダレとんこつ」​​
【開発の背景】
焼豚ラーメンシリーズに“辛ダレとんこつ味”が新登場しました。全国的に知名度の高い博多とんこつラーメンですが、近年トッピングに辛ダレを使用した味わいが特に人気です。このような背景を受け、焼豚シリーズで初となる辛ダレを使用した商品の開発に至りました。細麺、白濁豚骨スープを合わせた博多らしいとんこつラーメンに、唐辛子の粒を練り込んだこだわりの辛ダレを合わせました。“博多の味”をお気軽にお楽しみください。

↑↑は少し前、というか8月登場の大分前のものですが、今年最も高いカップラーメンと認定された某例のアレを真似ている事は間違いない、味は普通に美味しいかったですよ。本格的なのを望むなら高い某ラーメンにすべきですが。
レアチーズケーキ
レアチーズケーキは簡単に出来ます、クリームチーズと生クリームと溶かしたゼラチンを混ぜるだけ、ただ気をつけておきたいのは、水で溶かしたゼラチンはレンジで20秒~30秒ぐらい、その後は製品によって様子を見てください、かけ過ぎると吹きこぼれる恐れが…
最近、スポンジケーキが炊飯器で出来る事を発見、今回あまり出来が良くなかったのでクリスマスケーキでも作ったら紹介したいと思います。


※少し余談ですが、
月読命(つきよみのみこと)と月読命(つくよみのみこと)は違うと感じてきた事が以前からありました、最近も「ツキヨミとツクヨミと違う。」といわれた様に感じました、確かに古い言い方で”月”の事を”ツク”と言うのですが、どうも、月読命様(つきよみのみこと)自身が「私はツキヨミだ。」といわれている様に感じます。個人的に感じるだけなので真相は分かりませんが。
確かに伊勢では内宮の別宮を⽉読宮(つきよみのみや)、⽉読尊(つきよみのみこと)、外宮を⽉夜⾒宮(つきよみのみや)、⽉読尊(つきよみのみこと)と言います、現代風に読み直しているとは思いますが。
月読(ツキヨミ)様曰く、「一部の地域だが、”ツクヨミ”とは昔墓の前(前方後円墳)で泣く鳴女一つ、俺は違う。」らしいです、有力者が亡くなった時に持統天皇の前までは古墳で殯をして送りました、持統天皇以降仏教を取り入れ今の火葬になったとされています、他にも、前方後円墳等の墓の上は儀式をする祭壇になっており、当時は専用の神主や巫女(鳴女)が居たらです。葬儀は勿論その後の祭祀も行うようで。”鳴女”は鬼滅の刃のにも別の形で登場した鬼ですが、元はそういう役職だった様です。恐らく現在の神社等の祭祀等の原型の一つですね、黄泉の国の回で伊邪那美命を説得した菊理媛命がその役職の総元締めのモデルかもしれません。もしかすると、申し訳ありませんが、天鈿女命も元はそういう役職の方かもしれません、天岩戸神話は日食とも、卑弥呼の死とも囁かれていますし。そういう役職の方は人に対してだけとは限りませんし、自然の驚異に対しても祈祷や祈りをしていたでしょう。そいう方が後に豪族になるほどの大きな力を得たのかもしれません、天鈿女命は稗田阿礼が子孫とも、稗田阿礼の実在は疑われますが、モデルはいたでしょう。
だいぶ昔、車で通りかかった前方後円墳の上で踊る2、3人の人を見た気がして怖くて、しばらく前方後円墳に近づくのが怖かった事を思い出しました💦ただの気のせいが一番良いですが。最近、別の所を訪れたら何もなかったですね、それが何より。古墳の入り口から中を覗ける場所もありましたが、まるで黄泉の国で、やはり気持ち悪く暗くて怖かったです。
墓の上で儀式を行うだけでなく、巫女が魂を呼び出して、語る憑呼女(黄泉)いたかもれません、まるでイタコの様でも、しかし、当時は有力者であるほどそういう役職の方も多かったでしょう、勿論、男性も居たでしょうが。まあ、場合によってどっちも呼び方もするので言い難いですが。これは自分の感じたイメージですし、感じただけ、ただの想像であり妄想、信じるか信じないかはあなた次第、そう思いたいだけ、信じなくてもよいですが。一応、気になったので書かせて頂きました。


​第21回 鬼武蔵を倒した男、夢想権之助について、​​
前回の第20回目は吉備津彦命の伝承と桃太郎伝説について紹介しました、第21回目は趣向が変わりまして祭神では無く、竈門神社の末社夢想権之助神社に祀られている鬼武蔵を倒した男、夢想権之助について竈門神社では末社 夢想権之助神社があり、初の人物紹介ですね、公式HPによると”杖道の祖と称えられる夢想権之助は、江戸時代初期に活躍した剣客で、宝満山中で修業中に開眼し「神道夢想流杖術」を大成しました。現在でも杖道愛好家の方々が御神徳を仰ぎ、毎月の神前稽古で技と心を磨いています。”との事、後、宮本武蔵を倒した男でも、そういうのに興味を引かれました。多分、鬼滅の刃でもそのモデルは登場していると推測しています。
なお、今回もネットから持ってきた記事を載せておりますので併せて宜しくお願いいたします。

竈門神社より、

夢想 権之助(むそう ごんのすけ、夢想權之助)
江戸時代初期の剣客である。生没年は不明。また、杖術として有名な神道夢想流杖術の流祖である。同流の口伝では名字は山本、諱は勝吉である。『武芸流派大事典』(綿谷雪、山田忠史)によれば本姓は平野、通称は権兵衛。
『武芸流派大事典』によれば、霞流の桜井大隅守(諱は吉勝)が師、弟子は小首孫右衛門(諱は吉重)。また、松林蝙也斎も権之助の弟子であるといわれる。
夢想権之助は宮本武蔵に敗れたとされている。時期は『海上物語』(惠中(堤六左衛門 諱は坂行)、寛文6年(丙年)弥生(1666年3月))では武蔵が明石滞在時、『二天記』(安永5年(1776年)。なお元となった『武公伝』に記載はない)では、江戸滞在時である。
当流の口伝では、後日に権之助が宝満山の竈門神社で祈願し杖術の研究を重ね、再び武蔵と立会い、ついに破った後に開いたと伝える。
『武稽百人一首』では「武道をば神の夢想ぞ権之助自らゆるす天下一かな」とよまれている。

神道夢想流杖術(しんとうむそうりゅうじょうじゅつ)
日本の杖術の流派。江戸時代初期の武芸者、夢想権之助が創始した。江戸時代には真道夢想流棒術、新当夢想流棒術という名であった。古流杖術では最も普及した流派であり、現代杖道や警杖術の母体となった。
歴史
流祖夢想権之助は新當流を櫻井吉勝のもとで極めたのち、工夫をかさね当流を生み出した。伝承によれば、筑前宝満山に参籠のおり夢中に童子が現れ「丸木をもって水月を知れ」という神託を得たとされている。『海上物語』と『二天記』では、夢想権之助は宮本武蔵に敗れたとされているが、当流の口伝では、後日に権之助が宝満山の竈門神社で祈願し杖術の研究を重ね、再び武蔵と立会い、ついに破った後に開いたと伝える(二度目は引き分けとも)。
当初、真道夢想流と称していたが五代原田兵蔵が自身の工夫を加え新當夢想流と改称した。七代永富幸四郎のころよりおおいに隆盛し、伝書の整理が行われた。以降徐々に神道夢想流と称されるようになった。1796年に永富幸四郎の門下の大野久作が春吉地区の、小森清兵衛が地行地区の男業師役に任用され、以降1902年に統一されるまで二系統にて伝承されることとなった。
福岡藩で主に下級武士が学ぶ捕手術である「男業(だんぎょう)」のひとつとして伝えられてきたが、明治維新後、24代の統である白石範次郎や内田良五郎(内田良平の父)らによって全国普及の端緒が開かれ、昭和に入って白石の弟子、清水隆次、高山喜六、乙藤市蔵らは大日本武徳会に参加し、本格的な全国普及が行なわれた。中山博道とその弟子も神道夢想流杖術の普及に大きな影響を与えた。
清水は福岡県から上京して警視庁に奉職し、警杖術を指導した。太平洋戦争後、清水は逮捕術制定の委員を務め、逮捕術の警杖術技は神道夢想流杖術がもととなった。昭和31年(1956年)、神道夢想流杖術は全日本剣道連盟に加盟し、全日本剣道連盟杖道の母体となった。現在、杖術流派では最も修行人口が多い。
術技
杖術だけでなく、神道流剣術を含み、一達流捕縄術(英語版)、一角流十手術、一心流鎖鎌術(英語版)、内田流短杖術、中和流短剣術が併伝されている。
杖術の技法は手の内の打突を主とし、相手を打ち倒し殺す技ではない。攻撃点は当て身において即倒させる部位であり、殺さずに捕える捕手術の特徴が表れている。杖は突き、払い、打ちの千変万化の技を繰り出すことができる。
(形 杖術)表: 12本、中段: 12本、影: 12本、五月雨: 6本、仕合口(奥): 12本、極意: 5本
(剣術)大太刀: 8本、小太刀: 4本
流儀歌
突けば槍払えば薙刀打てば太刀杖はかくにも外れざりけり
痕付けず人をこらしていましむる教えは杖の外にやはある
証書
奥入証:奥の稽古を始めたときに授与される。形態は切紙。
初目録:奥伝が終わった者の心技の程度により授与される。五月雨までの教授を許可する内容。
後目録:心技の程度により授与される。
免許:極意を一本学んだときに授与される。極意を五本とも学んだ時に皆伝という。
当流には宗家が存在しない。一門の中から代々の統領を定める。白石範次郎の後、清水隆次が26代、乙藤市蔵が27代の統とされていた。(ウィキペディアより、)


生没年不詳だから情報が少ないのか、モデルは魘夢?そんな訳は無いと思いますが…
神道夢想流杖術の方が通じるような気がします、まるで鬼滅の刃の「全集中の呼吸」の様な、元ネタは剣術の流派は間違いないですね。最初は鱗滝呼吸法というダサい名称でしたが、完全にリスペクトしてますね、水の呼吸や炎の呼吸になって良かった。それに、竈門神社の宝満山は主人公炭治郎が修行した山に似ています、鱗滝さんも宝満さんの山岳信仰が元になったのも言うまでもありません。バカモンドでは誰かポイですが、なんか完全にロックですね。

竈門神社 夢想権之助神社より、

夢想権之助
生没年不詳。宮本武蔵と同世代とすれば安土桃山時代中盤~後半の生まれ。
姓は山本、諱は勝吉。『武芸流派大事典』(綿谷雪、山田忠史)によれば平野家の生まれ、諱は権兵衛だったという。
兵法三大源流と呼ばれる新富流の武道家であり、櫻井吉勝に兵法を学んだ後に長い杖を使う神道夢想流の開祖となる。「突けば槍 払えば薙刀 打てば太刀」という通りのオールラウンドな戦い方を開発した。
宮本武蔵とも戦い、一度は敗北したものの雪辱戦を経て白星を挙げたと言われている。
創作物での扱い
吉川英治『宮本武蔵』

いわば日本人の想起する夢想権之助のイメージはこれである。老いた母と共に旅を続ける武芸者で、武蔵と戦い引き分けた実力者。母を亡くした後、祇園藤次一味に苦戦する武蔵の助っ人として加勢した。
石ノ森章太郎版『宮本武蔵』
アゴが出っ張っている。武蔵と戦い敗れたのち、勝手に弟子入りを頼み込む。佐々木小次郎の燕返しを受けてアゴを裂かれてしまい、治療後はややアゴが縮んだ。おつうと結ばれるという全創作物でも一二を争う勝ち組の夢想権之助である。

『バガボンド』
メイン画像参照。背中に「兵法日本一」と書いた羽織を着た派手好きの武芸者。1585年(天正13年)生まれ。元は田舎の悪ガキで、家を追い出され自分の流派を立てるために旅に出る。そこで出会った伊藤一刀斎、佐々木小次郎に敗れ行動を共にし、関ヶ原の戦いにも参加させられる。
(ピクシブ百科より、)

まさかのアグネスデジタル剣豪、ある意味での変態かもしれません。あるいは二刀流の大谷翔平選手、ちなみに二刀流と言えば宮本武蔵先生ですが。神道夢想流(打太刀が二刀の形がある)も二刀流、それこそ、宮本武蔵先生を倒す為に編み出した剣技だったかもしれません。ただ、アグネスデジタル 12月8日(水)に天国へ旅立ちました。24歳でした、彼は宮本武蔵というよりもより幅広く中央・地方・日本国外を転戦して芝・ダートを問わず様々活躍した名馬、夢想権之助の様、ガチで神道夢想流の流儀の様な名馬。クロフネがかの宮本武蔵なら、アグネスデジタルが夢想権之助かもしれません。同じ時期に存在した稀有な名馬でした。ただ、アグネスデジタルは小柄でしたが、だから余計にその凄さ感じます。
竈門神社 夢想権之助神社より、

武蔵を破った男!夢想権之助勝吉が「杖術」を編み出す!
はじめに
「宮本武蔵」といえば剣豪の代名詞ともされる、史上最も有名な剣術者の一人です。真剣を用いての勝負でただの一度も不覚を取ったことがなく、したがって天寿を全うしてその流派も現在にまで伝承されています。
しかし、そんな武蔵の最強伝説に唯一黒星をつけた、と伝えられる武人が存在するのをご存知でしょうか。その名は夢想権之助勝吉。今に伝わる「神道夢想流杖術(じょうじゅつ)」の開祖として知られる人物です。ここでは、武蔵を破った「杖術」にスポットライトを当ててみましょう。
「杖術(じょうじゅつ)」とはどんな技か?
「杖」と名が付いていますが、これは必ずしもステッキを使うというわけではありません。日本の武術には「棒術」というものがあり、概ね六尺(約180cm)という長さがひとつの基準となっています。「杖(じょう)」とは六尺より短い棒を指して言う専門用語であり、五尺・四尺・三尺などの規格が流派ごとに存在します。夢想権之助の神道夢想流では「四尺二寸一分(約128cm)」の長さの杖を武器として用いています。この杖術の最大の特徴は、徹底して「対剣術用」に技が組み立てられており、いわば「剣術キラー」として歴史上恐れられてきた武術でもあるのです。シンプルな一本の棒ですが、それだけに応用の範囲が自由自在で、剣術・棒術・槍術・薙刀術といったあらゆる武器術の技を繰り出すことが可能となっています。なおかつ剣術の弱点を熟知した戦法が工夫されているため、武蔵にとっても難敵となったことが想像されます。
夢想権之助は、武蔵を破るために「杖」を選んだ
冒頭で述べたように、夢想夢想権之助は武蔵に勝ったという伝承がある武人ですが、最初は剣術者として試合を行いました。当時の権之助も達人と呼ぶに相応しい剣の腕前をもっていたと考えられていますが武蔵には及ばず…、敗退してしまいます。そこから、彼の打倒・武蔵のための修行が始まります。やがて激しい訓練の末、ある種の天啓を受けて自身の武器を剣から杖に持ち替えることを決意します。
権之助は剣だけではなく、槍術や薙刀術等の武芸百般に長じていたと伝えられ、それらの技を巧みに組み合わせて一本の棒で展開することのできる「杖術」を開発するに至りました。そうして杖術を身に付けた権之助は武蔵と再戦し、流派の伝承では「武蔵を破った」とあり、武蔵側の伝承では「引き分けた」とされています。ただの一本の棒を使う流派が最強の剣豪に負けず、しかも互いに命を落とすことなくそれぞれの力を認め合ったのです。
現代に伝わる「杖道」
権之助の神道夢想流杖術は、福岡・黒田に藩外不出の武術として伝えられました。
この術技には「相手の命を奪うことなく制圧する」という大きな特徴があり、したがって刀を持って暴れる相手を取り押さえる「捕手(とりて)」というジャンルの武術として重宝されてきたのです。その優れた技は現代の警察が習得する「逮捕術」の一環として採用され、現役で使われ続けています。また、神道夢想流杖術の技はもちろん、それをベースにした現代武道「杖道(じょうどう)」として多くの愛好者を得ており、権之助の魂を今に受け継いでいます。(日本の歴史comより、)

勝つために努力したんですね、「相手の命を奪うことなく制圧する」素晴らしいじゃないですか、炭治郎ぽい考えでも、でも、モデルはやはり悲鳴嶼行冥さんかな…?鬼殺隊最強の剣士ですし、刀ではないという共通点も。格好もどことなく似通っているし、なによりも今現在、警官が習得する逮捕術の一つ、
それに、悲鳴嶼さんは「設定上最強」「巨漢」「怪力」「武器が鉄球と斧」「地属性」「盲目」「ぶっ飛んだ第一印象」と、少年マンガのお約束におけるありとあらゆる「やられ役になりそうな要素」が注ぎ込まれているにも関わらず、本当に滅茶苦茶強くて最終決戦後まで生き残るという、極めて稀有なキャラクターである。実際に、読者の大多数が最初に死ぬ役だと思っていたようで、実は自分も…やはり、体格の大きなヤツが強いと言うのが世の中のセオリーとつくづく感じます、自他共に最強の剣士。
あと、悲鳴嶼行冥さんは天手力男命がモデルかも、もちろん、複数のイメージが複合的に含まれており、一つではありません、ただ、伊勢神宮に行った時に、伊勢の内宮の側に天手力男命がお祀りされているタクシー運転手もおっしゃっており、もし、お館様が天照大御神とすると、あながち間違えでは無いかもしれません。
遊郭編ついに始まりましたが、煉獄さんのシーンから、少年無惨が登場した時に、早速 猗窩座のパワハラが…それも、映像が隅々まで綺麗、恐ろしすぎますよufotable、何故か猗窩座が可愛すぎると感じてしもうた。それに、自然の流れに主人公が煉獄さんから天元さんに代わった様に思えてなりません、主人公は炭治郎だけど。その代り、鋼鐵塚さん登場が思いのほか地味…。宇髄天元さんはまた別の魅力に溢れたキャラクターですね、集合会議と無限列車編最後 以外での初回登場はゲスい事やってるのにカッコイイのは何故だ。彼は、天鈿女命がモデルとされています。だから名前が宇髄天元なのですよね、天手力男命と天鈿女命についてはまたいつか紹介したいと思います。

第21回  鬼武蔵を倒した男、夢想権之助についてでした。





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最終更新日  2024年01月20日 20時46分07秒
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