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2022年02月06日
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​ドラゴンポテト 鬼滅の刃 牛タン塩味​
ドラゴンポテト 鬼滅の刃については少し前のものですが、スーパーに今も売っていますね、最初の頃に比べて人気が安定して来たからグッツも残るようになりましたが、でも、未だにコラボ商品を出し続ける人気コンテンツですね。ドラゴンポテトは好きなのでよく購入しています。
(​鬼滅の刃公式​@kimetsu_off)
2月8日は冨岡義勇さんの誕生日、すっかり忘れていました💦煉獄さん宇随さん、甘露寺ちゃんと尊い…

​​鬼滅の刃公式​@kimetsu_off)
こちらは義勇さん仕様の無表情の特徴を捉えているのに可愛い和菓子、作る人の心意気がすごい。


並べるのも何なのですが💦
以前はチーズケーキをよく作っていました、これはチョコレートのチーズケーキ、板チョコを使うのですがかなり甘くなります、チーズ+チョコなのでヘビーです、バレンタインに手作りのチョコレートケーキ等も作る方もいますが、場合によってはかなり重くなることも考えられます。
まあ、オレオチーズケーキもそうなのですが、どうしてか美容大国の韓国で流行っているのが面白い、後、韓国経由で”マヌルパン”、マヌルネコでは無い、流行りだとか、ニンニクバターたっぷりの甘じょっぱいパンでカロリーが気になる。消化出来る程の自信があるのでしょうか、自分は胃もたれを起こしそうだ。若い時でないと💦

ところで、話題のゴルシファーって何??
​(グランブルーファンタジー​ @granbluefantasy )​
勿論、『モンスト』のルシファーさんではなく、『グラブル』のルシファーさんですが、『ウマ娘』とコラボ大分前に発表しましたが、もうそんな時期が…よくわからん。

………はっ?

………はっ?はぁーーーー???
…ウ魔王ゴルシファーは草


ゴルシファーガチだったのか?!
無属性120億ダメージ、無属性なんてコントか?、流石紙屑にしただけの事はある。ラスボスにゴルシファー???いや違う、、、オヌシナニモノ




​※追記 鬼について、​​
今回はズバリ鬼についてです、特別編2 では​西アフリカ ガーナの天空神オニャンコポン​について紹介しまいた、第24回目は『鬼滅の刃』、遊郭編にも登場した弁財天について​でした、どちらも『モンスターストライク』キャラクターであり、スーパーカップとコラボしていました。節分は過ぎましたが、鬼とはいったい何か?鬼について調べてみたいと思います。鬼については​両面宿儺​や​天目一箇命​、​温羅​等につて個別で紹介していました、全般的に鬼に興味をもちました、元は目に見えない恐怖だったり、大和政権に抵抗した人々だったり、疫病に患った人だったり、後は外国人や村八分等のけ者された者と時代や立場によって理由は様々、強すぎる人間も鬼と言いますよね、鬼とは何なのか紹介したいと思います。なお、一般的な紹介になりますので宜しくお願い致します。

「赤鬼」「青鬼」にはどんな意味がある?節分は自分の“煩悩”と向き合うチャンス
陰陽五行説では、「人が亡くなると鬼になる」と考えられている
節分の鬼といえば、赤鬼と青鬼の二鬼がよく知られていますが、地域によっては、三鬼、五鬼と色の種類が増えることがあります。カラフルな鬼は娯楽性とともに、仏教的な意味も備えています。
古代中国では人が亡くなると、「鬼」になると考えられていました。中国語の「鬼(き)」は、死霊や幽霊のことで、肉体から遊離した死者の霊魂を意味します。鬼は人に善い働きする「善鬼(ぜんき)」と、人に災いをもたらしたり、人をたぶらかして悪に道に誘い込む「悪鬼(あっき)」に分かれます。
太古の時代から、災害や疫病などの災いは、鬼の仕業だと考えられていました。その一方で、鬼は人に優しく親しみを抱かせる存在でもあります。鬼という目に見えない存在を表現するために、人々は想像力を働かせてきました。
鬼は、鬼門にあたる丑寅の方角(北東)に居座っていると考えられ、牛(丑)の角をもち、寅(虎)の皮を身につけるという鬼の風貌が生まれてきました。日本の昔話の「桃太郎」では、猿・雉子・犬が鬼に立ち向かう家来となっています。北東の鬼門に対して、西南の方角を示す申酉戌(さる・とり・いぬ)が選ばれたわけです。
このように、鬼のイメージは古代中国の陰陽五行説の考えが反映しているようです。
鬼の色は何色?
ところで“現代の鬼”といえば、俳優の菅田将暉さんが演じる、auのCMキャラクター「三太郎シリーズ」の鬼ちゃんを連想する人も多いのではないでしょうか?
鬼ちゃんは赤を基調としたコスチュームを着用しており、鬼の色といえば赤というイメージがあるのかもしれません。鬼ちゃんには、小さな角が2本生えていますが、肌の色はナチュラルで、子どもの頃鬼ちゃんは8児の父親で、雷さまを兼任したり、お正月はおしるこ屋、夏祭りでは雷おこし屋を営んだりするなど、家族を支えるために、副業もがんばっています。
ちなみに、子どもの名前は、俳優の鈴木福さん演じる赤鬼、青鬼、鬼子、オニオン、おにぎり……などです。
このように、現代の日本では鬼の色は赤で表現されることが多く、赤鬼と青鬼の二鬼の組み合わせも見られます。その一方で、現代の中国の鬼は、色は用いられない傾向があるようです。
日本では、江戸時代に浮世絵の題材として人気を博したように、鬼は娯楽の1つとして親しまれてきました。中国では幽霊のイメージが強く、怖いモノは見たくないという心理が働くのかもしれません。
に見た絵本などの鬼よりも、人間らしい姿となっています。
赤鬼や青鬼……それぞれの鬼の色は人間の“煩悩”を表している
節分に登場するのは、主に赤鬼と青鬼ですが、地域によっては、黄鬼(白鬼)、緑鬼、黒鬼が登場することがあります。赤鬼・青鬼・黄鬼や赤鬼・緑鬼・黒鬼という三鬼の組み合わせもありますが、節分の鬼の色は五種類あるため、仏教の五蓋(ごがい)と結び付けられてきました。
五蓋とは、仏教における瞑想修行の妨げになる煩悩(ぼんのう)のこと。煩悩とは、身心を煩わせる心の働きを意味する仏教の用語で、蓋には、本当のことが分からないように、つつみ隠してしまうという意味があります。
「鬼に金棒」という言葉がありますが、金棒を持つのは赤鬼で、他の色の鬼はそれぞれ異なる武器を携えており、象徴する煩悩の種類も異なります。
赤鬼:金棒渇望・欲望・貪欲の象徴
豆をぶつけることで、自らの悪心が取り除かれる
青鬼:刺股(さすまた)瞋恚(しんに:悪意・憎しみ・怒り)の象徴
豆をぶつけることで、福相(福々しい顔つき)や幸福、利益に恵まれる
黄鬼(白鬼):両刀ののこぎり掉挙(じょうこ:心が昂ぶり頭に血が上った状態)・悪作(おさ:後悔)・我執(がしゅう:我が儘)の象徴
豆をぶつけることで、甘えを取り除き、公平な判断ができるようになる
緑鬼:薙刀(なぎなた)惛沈(こんじん:沈鬱な状態)・睡眠(すいめん:眠気)・不健康・怠惰・過食・不真面目の象徴
豆をぶつけることで、不摂生を反省し、健康を保つように言い聞かせる
黒鬼:斧疑いの心・愚痴の象徴
豆をぶつけることで、卑しい気持ちを追い払い、平穏な心へと導かれる

鬼払いの儀式も中国から伝わったものですが、宮中の儀式から民間行事として広がり、発展してきました。節分に炒った豆を蒔くのは、「魔目・魔滅(まめ)を射る」の語呂合わせになっているという説もあります。節分行事は、目に見えないものに対する恐怖が根底にありますが、娯楽性も備えています。
その一方で、仏教の考えと結びついたことで、煩悩という心の問題に向き合うきっかけにもなりえます。五色の鬼は、わたしたちの心を惑わせるものであり、煩悩を追い払うことで、こうなりたいと願う自分と向き合うチャンスを得られるのかもしれません。
(※参考文献:吉村 耕治、山田 有子(2018年)「日本文化と中国文化における鬼を表す色 ―和文化の基底に見られる陰陽五行説―」日本色彩学会誌 第42巻 第3号より、)(エキサイトニュースより、)

こちらは節分に掲載されていた記事でした、節分は元々は中国から伝わり無病息災願う行事、それは勿論疫病から身を守るため、煉獄さんと戦った猗窩座は赤鬼?かな、青鬼とも受け取れますが…鬼は元々人です、人々に疎まれ鬼とされた場合も。話は変わりますが、煉獄さんと言いますか煉獄家はどうも、痣が出ない家系?という事が言われてますが、だからこそ煉獄家は鬼狩り一族として残り続けていた、煉獄家に伝わる書を読んだ煉獄パパは絶望した…と考えると、ワニ先生は相当鬼だな。しかし、痣が出ないのに上弦の参である猗窩座にあれだけ食らいついた煉獄さんは相当強い、遊郭編を見てそう思った、宇随さんがその実力認める訳だ、あれでまだ煉獄さんはまだ全盛期でない…えっどんだけ?それから、
遊郭編10話がが映画レベル以上で早さについていけない…まあ、鬼の鬼いちゃん個人的に気に入っています。宇随さん”肉を切らせて骨を切る”ってガチなんですね、自分も痛手を受ける代わりに、相手にそれ以上の打撃を与える。捨て身で敵に勝つ。まさにそのまま、しかし、鬼いちゃん最後まで爪痕を残すとはトンデモない、最後の最後まで油断にならない、もしかして最終回では??とおもわせました。最終的にフィニッシュしたのはかまぼこ隊の三人でしたがあの連携もう無惨戦まで見れないのか…

両面宿儺は厳密には神様で、『呪術廻戦』では呪の王で人間ですが、ドラゴンスレイヤーの一面も。

【鬼】の正体とは?知られざる起源や特徴に迫る
古来、日本の歴史の中で語り継がれる怪物「鬼」。ツノが生えた頭、つり上がった目に牙の生えた口という恐ろしい姿で金棒を振り回す様子は、人々を震え上がらせます。
一方で、「鬼才」「心を鬼にする」などの日本語や、「鬼ごっこ」などの遊び、「節分」などの伝統行事といったように、鬼は私たちの暮らしの様々な場面で登場します。最近でも鬼をテーマにした漫画とアニメ「鬼滅の刃」が大ヒットを記録しました。
恐るべき存在でありながら、人の暮らしと密接に関わっている「鬼」とは、一体何者なのでしょうか。今回はそんな鬼の起源や歴史、特徴、種類などをまとめて紹介。鬼の正体を徹底解説していきます。
鬼とは
古くから日本に存在する鬼は単なる怪物の一つではなく、人の怨霊、伝説上の神、妖怪、宗教上の存在など様々な形で想像され、その定義は登場する場面によって異なります。ここでは、それぞれの鬼の定義を見ていきましょう。
妖怪としての鬼
妖怪として登場する鬼には決まった姿はなく、超科学的な力、おどろおどろしい気配を秘めた、得体の知れぬ恐ろしい化け物として描かれます。昔話や民間伝承に登場する鬼の多くも妖怪であり、人を取って喰うなど人間に害をなし恐怖を与える存在として信じられてきました。
そもそも妖怪は、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、それらを起こす不思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと。昔では、未知の自然現象や未確認生物などは、妖怪と考えられていました。そのため「何かわからないもの」への漠然とした恐怖が生み出した存在であるとも考えられます。
悪霊としての鬼
恐ろしい姿をした怪物としてイメージされる鬼ですが、霊的な存在として現れる場合もあります。霊としての鬼の正体は、なんと人間自身。人間が怨念や嫉妬などによって悪霊となり、鬼の姿へと変わったものと言われています。この鬼は悪霊であるため、妖怪の鬼と同様人に災いをもたらす恐怖の対象として扱われています。
おどろおどろしい表情のお面で知られる「般若」も、人間の女性が怒りや悲しみ、嫉妬といった感情から鬼に成り変わった姿。怒った女性が鬼のように恐ろしい姿になる様子は現代でも「鬼嫁」という言葉で受け継がれています。
仏教の中の鬼
鬼の一般的なイメージである、角や牙を生やした恐ろしい姿は、実は仏教の鬼の姿から来ています。仏教には六道と呼ばれる6つの世界が存在し、前世の行いによって来世で生きる世界が決まります。
その中の「餓鬼道(がきどう)」と呼ばれる世界に生きる者たちが、鬼の一つである「餓鬼」。子どもをけなした意味で使う「ガキ」という言葉の由来とも言われています。
餓鬼は常に飢えに苦しんでおり、食べ物と水を手にしても火となってしまうため、決して満たされることがない鬼。前世で金や食べ物を独り占めした欲深い人間は、この餓鬼に生まれ変わってしまうとされています。
また、仏教に登場するもう一つの鬼が、有名な地獄にいるとされる鬼。「地獄道」は六道の中で最も辛く苦しい世界で、前世で人殺しのような悪事を働いた者が落ちる場所とされています。
地獄の鬼の仕事は、牢獄のような地獄の中で亡者を拷問し、苦しみを味あわせて罪を償わせる、いわば「獄卒」。一般的な鬼のイメージは地獄の鬼に由来しています。
神としての鬼
「鬼」という漢字は「カミ」や「シコ」などとも読まれ、「カミ」は「神」に通じます。古代の人々は、あらゆるものに神や精霊が宿ると考えており、目に見えないものや人の理解を超えた存在があることを、自然に受け入れていました。
そのため鬼は、山や土地を守る神々を指し示すことがあります。この種類の鬼には目が1つしかないという特徴を持っており、人を助けるために超人的な能力を使ったという伝説が多く残り、「山神」に属しているとされています。
鬼の起源と歴史
今では誰もがイメージできるほど有名な鬼ですが、果たしてそれはどのようにして生まれ、日本人の間にその存在が広まっていったのでしょうか。鬼の起源と歴史に迫ります。
「鬼」という言葉の起源は中国
「鬼」という言葉はもともと中国から入ってきました。漢字の「鬼」は死体を表す象形文字で、現在でも人が亡くなることを「鬼籍に入る」と表現するように、人は死んだら鬼になると考えられていました。
中国では、鬼とは死者の魂そのものであり、姿形のないものとされました。しかしそれが日本に伝わると、仏教の概念と結びつくことで、鬼は恐ろしくて怖いものと捉えられていったのです。
現在の鬼という漢字には「き・おに」という読み方がありますが、中国から入ってきたときは、「おに」という読み方はありませんでした。鬼のような存在を日本では「モノ」と呼んでおり、怨念を持った霊や邪悪な怨念を意味していました。ここでは中国同様、実体のない存在と認識されていたようです。
平安時代に鬼(おに)という呼び名が定着
鬼(おに)という呼び名が定着していったのは平安時代。仏教思想の影響で、鬼が「地獄の鬼」のような実体を伴う怪物として認識され始めました。これらは「この世ならざるもの」という意味の「隠(おぬ)」と呼ばれ、さらに「鬼」という名前へと変わったと言われています。
この頃から鬼は、恐ろしい怪物として物語などの中で描かれるようになります。
鬼は実在した?
一方、鬼という存在は、720年の日本書紀ですでに日本に登場していました。そこでは遠い国からきた外国人や海賊、山賊などの反社会的集団を「野蛮で醜いもの」という意味で「鬼魅」と記述していますが、ここにも「おに」という読み仮名が振られています。昔はこうした人々を含んだ「得体の知れないもの」を総称して鬼と呼んだとも考えられます。
さらに、鬼は「金工師」と呼ばれる職業の人間であったという説も。金工師は鉱山採掘や金属製品生産など、金属に関する仕事をしていた人達のこと。鬼伝説のある土地が、同時に鉱山地である場合が多いことや、鬼が伝説の中で金工に結び付いている例があること、実際に伝説の中で金工師とされる例もあることからこの説が唱えられました。
それから鬼の定義や種類は、時代や思想の流れによって様々に変化しながら語られることとなりました。
鬼の特徴と種類
宗教や物語の世界など様々な場面で描かれる鬼。さらに、鬼には数えきれないほどの種類があり、それぞれの伝説が日本各地で語られています。しかし一方で、鬼には共通してイメージされる特徴も存在しているんです。ここでは、代表的な鬼の特徴や種類を紹介します。
鬼には5つの色がある?
鬼の色というと、赤や青をイメージする人が多いのではないでしょうか。しかし、実は鬼の色は他にもあるんです。鬼は大きく分けて、赤・青・黄・緑・黒の5種類が存在します。
これは仏教における5つの煩悩のことを五蓋(ごがい)といい、その五蓋を鬼の色に当てはめているため。つまり、鬼の色それぞれには意味があるんです。
赤鬼
赤色の鬼が表す煩悩は「貪欲」。すなわち人間の欲望を表しています。赤鬼が一番有名なのは、この欲望があらゆる邪気の象徴であるためと考えられます。
青鬼
青色の鬼が表す煩悩は「瞋恚(しんに)」。瞋恚とは怒りや恨み、憎しみといった人間の憎悪の感情の事を指します。
黄鬼
黄色の鬼が表す煩悩は「掉挙・悪作(じょうこ・おさ)」。浮ついた心や甘え、執着など、自身の心の弱さを映し出しています。黄色の鬼は白色とも言われており、同じ意味を表しています。
緑鬼
緑色の鬼が表す煩悩は「惛沈・睡眠(こんじん・すいめん)」。やるべきことをやらない、ダラダラと眠ってばかりいる、という怠けた心からくる不健康や不摂生を意味します。
黒鬼
黒色の鬼が表す煩悩は「疑惑(ぎわく)」。自分や他人を疑う心や、愚痴などを指します。自身の中にある不平不満の心、卑しい気持ちを映し出していると言えます。
鬼の外見
鬼の外見の特徴として最もよくイメージされるのが、パーマをかけたように縮れた頭に2本の牛の角を生やし、腰には虎の皮でできたパンツを履き、手に金棒を持った姿。これは地獄の鬼が由来となっています。
実はこの牛と虎という特徴にも意味があるんです。風水上、鬼が出入りすると言われる「鬼門」は北東とされています。昔の方角では、子(ね)を北として十二支の名前が時計回りに当てられていたため、北東は丑寅(うしとら)の方角となります。そこから頭が牛で下が虎という鬼の姿が生まれたとされています。
鬼の苦手なもの
出会ったら最期とも思える恐ろしい鬼ですが、弱点となる苦手なアイテムが存在するんです。それはズバリ「ヒイラギの葉」と「イワシの頭」。ヒイラギのトゲは鬼の目を刺し、イワシを焼いた臭気と煙で鬼が近寄れなくなるといいます。
実際に、焼いたイワシの頭をヒイラギに刺したものを「焼嗅(やいかがし)」や「柊鰯(ひいらぎいわし)」と呼び、魔除けとして家の戸口に吊るしておく風習もあるんだとか。
鬼の種類
邪鬼
「祟り神」や「もののけ」とも言われる小鬼。「邪」という漢字が使われているように、人間に対して災いをもたらすとされています。仏像の「四天王像」に踏み潰される小鬼として描かれていることでも有名。
酒呑童子
平安時代に京都で大暴れしたと伝えられる鬼。6mもある巨体に、角は5本あり、さらに目が15個もあるという恐ろしい見た目をしており「史上最強の鬼」とも言われています。酒を好み、人をさらって喰う悪鬼でしたが、毒を盛られた酒を飲まされて倒されたという伝説が残っています。
目一鬼(まひとつおに)
「出雲国風土記(いずものくにふどき)」に登場する人喰い鬼。実際のところ、この鬼に名前はありませんが、目が一つであったことからこう呼ばれています。日本に現存する文献で確認できる、怪物として記述される鬼の中で、最古の鬼と言われています。
牛頭・馬頭(ごず・めず)
一般的な鬼のモデルになった地獄の鬼ですが、中には動物の顔をした鬼も存在します。最も有名なのが牛頭と馬頭。それぞれ牛の頭、馬の頭に人間の体という奇妙な姿をしています。牛頭と馬頭はセットで登場することが多く、地獄の番人とも考えられています。
鬼女
人間の女性が怨念によって鬼と化したものを「鬼女(きじょ)」と呼びます。
鬼女の中でも特に有名なのが般若や鈴鹿御前(すずかごぜん)。しかし、鈴鹿御前は坂上田村麻呂と出会い改心し、悪事を働く鬼を逆に退治する側になるという珍しい展開で語られているため、鬼ではなく山の神や天女ではないかとも言われています。
三吉鬼(さんきちおに)
秋田県に伝わる伝承の中で語られる鬼。大酒飲みで、人里に降りてきては呑み屋で酒を飲み、お金も払わず出ていきます。しかし、夜になると呑み代の10倍ほどの値打ちがある薪を置いていくという話が有名です。
また、1人では動かせない重い荷物を動かす時や大きな仕事がある時は、酒樽を供えて三吉鬼に願をかけると、一夜のうちにその仕事が終わっているという話も残っています。
人を喰うような恐ろしい鬼だけでなく、このような心優しい鬼や福をもたらす鬼も存在しているんです。
人の暮らしの中に登場する「鬼」
見れば震え上がるほど恐ろしい鬼ですが、昔話、慣用句、ことわざ、遊びなど、私たちの日常生活の中に鬼はあまりにも自然に溶け込んでいます。
一体、鬼はなぜこれほどまでに多くの場面で登場するのでしょうか。ここでは鬼が登場する昔話や行事、鬼のつく言葉や遊びについて、それらが生まれた背景とともに紹介していきます。
鬼が登場する昔話
鬼が登場する昔話には、善を勧め、悪を懲らしめる「勧善懲悪」がテーマのものが多く、鬼はそこで倒すべき「敵役」を演じています。
しかし、昔話の鬼はただの恐ろしい敵だけではなく、悪政を行い人々を苦しめる権力者などを表しているとも考えられています。自分の利益のために人を犠牲にするような悪い心そのものが、退治すべき鬼であるとも言えそうです。
桃太郎
鬼の登場する昔話として真っ先に上がるのが桃太郎。桃から生まれた桃太郎が犬・猿・雉を従え、鬼ヶ島で鬼を退治する話です。実は桃や動物たちは偶然選ばれた訳ではなく、理由が存在しているんです。
風水上、鬼が出入りする鬼門の反対側である「裏鬼門」に当たるのは申・酉・戌の方角。犬・猿・雉はこれに由来すると言われています。また中国の史書で、桃の木は邪気を払う力があるとされ、桃の実は生命を宿す女性を意味していると考えられています。
金太郎
足柄山で動物とともに暮らす力持ちの金太郎が、立派な侍に魅入られて出世し、悪人を倒していくという物語。これは平安時代に存在した坂田金時(金太郎)と源頼光(お侍)がモデルとなっています。
一見鬼は登場しないように見えますが、室町時代に作られた物語「御伽草子」の中では、丹波の大江山に鬼退治にいく様子が描かれています。この鬼こそ、史上最強の鬼と言われた酒呑童子。毒を入れた酒を飲ませて動きを封じて斬り殺し、見事に鬼退治を成功させます。
一寸法師
小指ほどの大きさの小さな男の子が、針とお椀の舟で京へ行き、侍となる物語。一寸法師は都を襲う鬼に食べられてしまいますが、腹の中を針でつつき回ると、鬼はたまらず逃げていきます。その後、鬼の落とした打ち出の小槌で、一寸法師は大きくなることができました。
しかし、実は原作の「御伽草子」では、両親が大きくならない一寸法師を嫌っていて家を出た、京で仕えた姫を騙して自分に好意を向けるよう仕組んだなど、少しダークな一面やずる賢い一面が描かれており、ちょっぴりクセのあるヒーローとなっています。
鬼がつく言葉
熟語
「鬼将軍」「鬼嫁」のように、誰かの恐ろしい様子を表す場合には、鬼という言葉が使われます。また「鬼才」「仕事の鬼」のように、良い意味で普通の人間とかけ離れている様子を表す時にも鬼が使われます。
ことわざ・慣用句
冷徹で無慈悲な人でも時には哀れみを示すという意味の「鬼の目にも涙」や怖い人やうるさい人がいない間にくつろぐという意味の「鬼の居ぬ間に洗濯」、強いものが何かを得てさらに強くなるという意味の「鬼に金棒」など、付き合いづらい人やどこか普通と違う特徴を持った人などを、鬼にたとえて表現するものが多いようです。
鬼がつく遊び
鬼がつく遊びでは、誰かが鬼となって残りが捕まらないように逃げる、また鬼に捕まったら捕まった者が次の鬼となる、というルールが共通しているように見えます。
これは鬼が人間の脅威として疎まれる存在であると同時に、今まで人間として関わっていた者が突然鬼となって襲ってくるといった複雑な関係が描かれているとも捉えられます。人間の恐れる鬼は、実は人間自身である。そんな深いメッセージが込められているのかもしれません。
鬼ごっこ
鬼ごっこは、参加者の中から一人の「鬼」を決め、残りは逃げて鬼がそれを捕まえる。そして捕まった者が次の鬼となる、というルールの遊び。
この鬼ごっこには非常に多くのバリエーションがあります。鬼より高いところに入れば捕まらない「高鬼」や特定の色に触れれば捕まらない「色鬼」、捕まると動けなくなり仲間の助けを待つ「氷鬼」など、小さい頃遊んだ記憶がある人は多いのではないでしょうか。
誰しもきっと遊んだことのある鬼ごっこですが、その起源はなんと平安時代にまで遡るとされています。次の節分の豆まきで解説する「追儺(ついな)」は鬼ごっこの原型とも考えられているのです。宮中行事である追儺では、役人が盾と矛を持って鬼役を追いかけ回します。これが鬼ごっこに通じるとされています。
また、鬼ごっこの起源と考えられるもう一つの遊びが「比比丘女(ひふくめ)」。地蔵菩薩が地獄の鬼から子どもを守る様子を表しており、そのルールはまず鬼役に向き合った親役の後ろに子が縦に長くつながる。鬼は列の最後の子を狙って追いかけ、親は両手を広げて子を守る、というもの。江戸時代には「子とろ子とろ」とも呼ばれていました。
だるまさんがころんだ
鬼が壁や木に顔を伏せて残りは鬼から離れてだんだん近づいていく。鬼は「だるまさんがころんだ」と唱え、直後に振り返る。振り返った時に動いていた者は捕まって鬼と手を繋ぎ、鬼はこれを繰り返す。そして先に鬼に触れるか鬼が全員を捕まえると終了という遊び。これも鬼ごっこの一つの変種と考えられています。
鬼にまつわる行事
鬼が登場する行事やお祭りも数多く存在します。
節分の豆まき
鬼に関わる行事として最も有名なのが節分の豆まき。現在は2月の始めにある節分ですが、本来節分とは季節の分かれ目を示す立春、立夏、立秋、立冬の前日を意味します。室町時代から現在のように立春の前日のみを指すようになったと言われています。
こういった節目の時期には邪気が入りやすいと考えられていました。特に旧暦では新年が春から始まったため、立春は年の変わり目として最も重要な日。そこで邪気を払う神事が行われるようになったのです。
大晦日(節分)の神事として平安時代に行われたのが「追儺」。鬼ごっこの起源となった鬼を追いかけ回す様子を演じる他にも、桃の木で作った矢を射るといった、鬼を追い払うための様々な神事が行われました。
その中の一つとして行われた「豆うち」が、豆まきの由来となったと考えられています。古くから穀物には霊が宿り、魔除けの力があるとされていました。魔の目(魔目=まめ)に豆をぶつけて魔を滅する(魔滅=まめ)という意味にも繋がることから、豆を巻くようになったとも言われています。
ちなみに節分の豆まきでは、自分の中から煩悩を消したい時、その煩悩を表す色の鬼に豆をぶつけると良いんだとか。
なまはげ
「なまはげ」は秋田県の男鹿半島で毎年行われる伝統的な民俗行事。大晦日の夜、青年たちが恐ろしい顔をした鬼のお面をかぶり、「泣く子はいねがー」と叫びながら地域の家を回って子どもたちに迫ってきます。
あまりの恐怖に子どもたちが泣き叫ぶ様子を見ると、とんでもない悪者のように思えてしまうなまはげですが、その正体は実は五穀豊穣、大漁満足、悪疫除去を司る神の使者「神鬼」の化身なんです。
なまはげが家々のドアを叩き、わざと大きな音を立てて荒々しく登場するのは悪いものを祓い落とすため。また家中を歩き回って「ケデ」と呼ばれる藁(わら)を落としていくのも、無病息災のご利益がある縁起物であるためです。
地域の人たちにとってなまはげは、一年の厄を祓い、新年を祝福するありがたい鬼なんです。
豊橋鬼祭り
鬼にまつわるこんな変わったお祭りも存在します。それが愛知県豊橋市の安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)で行われる「豊橋鬼祭り」。
このお祭りでは、赤鬼と天狗が戦いを描いた様々な神事は行われます。最後には天狗に敗れた赤鬼が、白い粉とタンキリ飴をばら撒きながら境内から逃走。この粉を浴びて飴を食べると厄除け効果があると伝えられています。粉は小麦粉で表現されており、参加者は小麦粉で真っ白になりながら飴を食べて健康を祈ります。
鬼はあなたのすぐそばにいる?
今回は、鬼の起源や特徴、そして鬼にまつわる様々な言葉や行事について紹介しました。出会ったら震え上がるほど恐ろしい鬼ですが、実は身近に存在していることがわかっていただけたのではないでしょうか。
恐ろしい怪物、災いあるいは福をもたらす神、はたまた人間の心の闇と、鬼の正体はさまざま。何気ない日常を過ごすあなたのすぐそばにも、実は鬼が潜んでいるのかもしれません。(THE GATEより、)


牛頭・馬頭(ごず・めず)は二足歩行の馬や牛?
…結構長いですね、ゴルシは馬頭か???気位の高い人であり、今にも二足歩行で歩きそう。

それだけ鬼が身近なのでしょう、後、百鬼夜行とか、天目一箇命は目一鬼として登場しているし、桃太郎のモデルは吉備津彦命、これも温羅の回で紹介しました。あと三吉鬼というのが面白いですね、仙台四郎によく似ている。後、牛鬼とか、前鬼後鬼夫婦、鬼をざっくり紹介したら意外と多い、悪魔まではいかないまでも結構な数ですね、日本昔ばなし”働く鬼”とうのがありましたが、あの鬼の正体を考えると闇深すぎて、もしかすると船で難破してたどり着いた外国人では、元はこれで今回の事を書こうと考えましたが、いかがでしょうか。ただ、”節分の鬼”はそのまんまのタイトルですが、泣ける話で、妻も子供にも先立たれた一人暮らしの老人と鬼との交流の話になっています。

『モンスト』のバサラ後ろにいるのは鬼…
バサラとは、
婆沙羅・婆佐羅などとも表記する。南北朝内乱期にみられる顕著な風潮で、華美な服装で飾りたてた伊達(だて)な風体や、はでで勝手気ままな遠慮のない、常識はずれのふるまい、またはそのようすを表す。また珍奇な品物などをも意味する。サンスクリット語のvajraバジラ(金剛・伐折羅(ばざら))から転訛(てんか)したことばといわれる。「建武(けんむ)式目」のなかでは「近日婆佐羅と号して、専ら過差(かさ)を好み、綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)・精好(せいごう)銀剣・風流(ふりゅう)服飾、目を驚かさざるなし、頗(すこぶ)る物狂(ぶっきょう)と謂(い)ふべきか」といわれ、過差=奢侈(しゃし)が、「物狂」といわれるほど異常な形で現れることを「婆佐羅」と表現している。また『太平記』では「佐々木佐渡判官入道導(道)誉ガ一族若党共、例ノバサラニ風流ヲ尽シテ」などとあり、伝統的価値観を食い破って現れてくる社会の風潮が語られている。なお、二条河原落書(にじょうがわららくしょ)にみえる「ハサラ扇ノ五骨(いつつぼね)」とは、骨数の少ない扇面に粗放、はでな風流絵を施したものをいう。ばさらの風体や行動をもって名をとどろかせた佐々木高氏(導誉)・土岐頼遠(ときよりとお)は、南北朝期の時代精神を体現したものとして「ばさら大名」とよばれる。(小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より、)

せっかく出たのにもったいないから、鬼は漫画やアニメ、ゲーム等にも頻繁に登場しますし、バサラの様にエフェクト的なイメージや鬼滅の刃でいう呼吸やジョジョで言うスタンド的な役割も。

百鬼夜行とは、
百鬼夜行(ひゃっきやぎょう、ひゃっきやこう)とは、日本の説話などに登場する深夜に徘徊をする鬼や妖怪の群れ、および、彼らの行進である。
鬼や妖怪などが群れ歩いているとされており、「百鬼夜行に遭った」という表現などがとられることもある。経文を唱えることにより難を逃れた話や、読経しているうちに朝日が昇ったところで鬼たちが逃げたり、いなくなったりする話が一般的で、仏の功徳を説く説話でもある。平安時代から室町時代にかけ、おもに説話に登場しており、多くの人数が音をたてながら火をともしてくる様子、さまざまな姿かたちの鬼が歩いている様子などが描写されており、これに遭遇することが恐れられていた。
『口遊』(10世紀)や鎌倉時代から室町時代にかけて編まれた類書のひとつ『拾芥抄』には、暦のうえで百鬼夜行が出現する「百鬼夜行日」であるとして以下の日が挙げられており、「子子午午巳巳戌戌未未辰辰」と各月における該当日の十二支が示されている。
百鬼夜行に出遭うと死んでしまうといわれていたため、これらの日に貴族などは夜の外出を控えたといわれている。また「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」と呪文を唱えると、百鬼夜行の害を避けられるという。『口遊』や『袋草紙』(12世紀)などでも既に同様の歌は記されており「かたしはや えかせせくりに くめるさけ てえひあしえひ われえひにけり」などとある。これらは「自分は酒に酔った者である」(手酔い足酔いわれ酔いにけり)といった内容を詠み込んでいる歌である。または「難しはや、行か瀬に庫裏に貯める酒、手酔い足酔い、我し来にけり」などと解釈されている。また山脇道円『増補下学集』など、百鬼夜行日は節分(現在の太陽暦でいえば大晦日)であると記している文献も存在する。(ウィキペディアより、)


百鬼夜行って疫病にかかった人々の事に思えてきました、平安時代からその存在が指摘されおり、疫病が流行った時期にも符号するし。後、『鬼滅の刃』が誕生したのが平安時代、世の中が不安定で混乱した時期と疫病が流行った時期が符号します。酒吞童子が登場したのも平安時代、羅城門の鬼が登場した頃も同じ、ちなみに、『鬼滅の刃』の上弦の陸・堕姫(だき)と妓夫太郎(ぎゅうたろう)は羅城門の鬼がモデルになっています、多分それも人間だと思いますが。

鬼とは、
空想上の霊怪。醜悪な形相と自在な怪力によって人畜に危害を与える怪物と考えられた。鬼の観念は,仏教における鬼神夜叉,餓鬼,地獄の閻魔王 (えんまおう) の配下などを具体化したものといえる。日本における鬼は『古事記』のなかの黄泉醜女 (よもつしこめ) という隠形の鬼に始り,時代や思想の流れとともに変化していった。一般に鬼が人畜に与える危害は,陰陽道,仏道修行,経典によって退けられると考えられている。一方,これら観念上の鬼とは異質なオニが民俗上信じられている。これは山人 (やまびと) ,大人 (おおひと) などと同じ性格のオニが山中に住むというもの。「鬼の田」や「鬼の足跡」と呼ばれる窪地があったり,山中のオニと親しんだ村人の昔話が伝えられている。村人が山中に住む人々と接触して得た知識によって,オニを山の精霊,荒ぶる神を代表するものという思想が生れたと考えられる。
鬼(き)とは、
中国の精霊崇拝の対象で,鬼神ともいう。太古から,人間の霊魂は死後も存続し,また人間に生れ変るが,人間の,特に子孫に祭られない霊魂は遊鬼となってさまざまな災害を起すと信じられ,これらの霊魂をなだめる祭儀が発達していた。鬼の字源には諸説があり,仮面をつけて舞う人の形という説もある。人間の死霊と類比して,山,川その他怪異な作用をするものも鬼と信じられた。民間信仰では,幽界組織,鬼の種類などを複雑にするとともに,病気,家運などのために鬼を祭る風習が発達し,さらに道教,仏教と習合して,追儺 (ついな) ,盂蘭盆会 (うらぼんえ) などの年中行事も発達した。(ブリタニカ国際大百科事典より、)


黄泉醜女 (よもつしこめ) が最初の鬼というのが面白い、大江山鬼退治伝説を思い出しました、NHKでした。古いもので「丹後風土記残欠」に記された陸耳御笠の伝説、陸耳御笠(くがみみのみかさ)とは、古代の丹後国にいたと伝えられる土蜘蛛の事、出た土蜘蛛、崇神天皇が弟の日子坐王を派遣してこれを討ったところ、陸耳御笠は與佐大山に逃れたという、犬がキーパーソン。與佐大山とは大江山の事、大江山についてはまた別件で取り上げたいですね。

※追記 鬼についてでした。​​​





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最終更新日  2024年03月09日 09時22分26秒
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