4580843 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ルーマニアックス

ルーマニアックス

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ハンニバルQ

ハンニバルQ

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

ハピネスチャージプ… New! 武来神さん

UFOキャッチャー フ… ミスランディルさん
Junky Junction 二木らうださん

コメント新着

フリーページ

ニューストピックス

2023年02月23日
XML


​本日は天皇誕生日​
本日は天皇の誕生日です。
​2023年の天皇誕生日はいつ? 歴代天皇の誕生日や豆知識も紹介!​
「天皇誕生日」は祝日法で定められた国民の祝日です。ただし、祝日となるのは在位中の天皇の誕生日なので、皇位継承があると年の途中でも日が変更になるところが大きな特徴。祝日としての起源や、令和の天皇誕生日、歴代の天皇の誕生日や当日に行われる行事などをご紹介します。
最終更新日:2023.1.31
​天皇誕生日が祝日になったのはいつから?​
「天皇誕生日=祝日=休日」として認識している方も多いでしょう。しかし、当然ながら歴代すべての天皇の誕生日が祝日というわけではありません。「国民の祝日」として定められている「天皇誕生日」は、在位中の天皇の誕生日のみです。「天皇誕生日」という名称の祝日が設けられたのは1948年です。この年に制定された「国民の祝日に関する法律」(以下、祝日法)によって定められました。それ以前は、天皇の誕生日は「天長節」と呼ばれていました。そして、明治天皇の誕生日11月3日(旧暦9月22日)、大正天皇の誕生日8月31日、昭和天皇の誕生日4月29日は「天長節」という国家の祝日でした。昭和天皇の誕生日に関しては、在位中に法律が変わったため、「天長節」から「天皇誕生日」になりました。  つまり、国民の祝日としての最初の天皇誕生日は、昭和時代の4月29日で、次の平成時代は12月23日、令和時代は2月23日と変わってきました。なお、通常は、天皇誕生日は皇位継承に伴って祝日法が改正され、日が変更になりますが、平成から令和への代替わりは存命中の譲位によるものだったため、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の附則によって祝日法が改正されました。ちなみに、譲位による皇位継承となったのは、1817年の光格天皇の譲位以来、約200年ぶりのことだそうです。
​2023年の天皇誕生日は2月23日​
今上天皇(現在の天皇陛下)の誕生日は1960年2月23日なので、令和時代の天皇誕生日は2月23日です。  2月23日に変更になる前の天皇誕生日は12月23日で、上皇陛下の誕生日でした。
​誕生日が分かっている歴代の天皇は?​
今上天皇は第126代。ここに至るまでの歴代の天皇の誕生日にも興味が出てきたという方もいるかもしれません。 しかし初代とされる神武天皇は、古事記や日本書紀に記述はあるものの神話的な部分も多く、また古代の天皇については、生年や即位年は分かっていても誕生日まで分かっている天皇はまれです。大化の改新を行った天智天皇(第38代)、大仏建立で知られる聖武天皇(第45代)、平安京に遷都した桓武天皇(第50代)といった、教科書やドラマに登場することも多い天皇も、生年、没日、即位日などは分かっているものの、誕生日は不明です。そのような中、以下は歴代の天皇の中でも比較的知名度があり、かつ、誕生日が記録にある例です。 第72代 白河天皇:1053年7月7日 院政を始めたことで知られる、 第81代 安徳天皇:1178年12月22日 平家物語にも登場する夭折の天皇、 第96代 後醍醐天皇:1288年11月26日 鎌倉幕府を倒幕  近代になると多くの天皇の誕生日が記録に残っており、退位後も誕生日が別の祝日として名称を変えて残されている場合もあります。第122代 明治天皇:1852年11月3日(新暦) 現在は「文化の日」、 第123代 大正天皇:1879年8月31日、 第124代 昭和天皇:1901年4月29日 現在は「昭和の日」 、第125代 上皇陛下:1933年12月23日、 第126代 今上天皇:1960年2月23日  中でも、昭和天皇は在位期間が1926年から1989年までと長く、また誕生日がゴールデンウィーク時期であったため、多くの人に「天皇誕生日は4月29日=ゴールデンウィークの最初の祝日」として記憶されていました。
​天皇誕生日に関する豆知識​
天皇誕生日について、少し意外なトピックスを選んでみました。「天皇誕生日」というキーワードが日本の歴史に興味を持つきっかけになるかもしれません。
​天皇誕生日がない年や1年に2度祝う年があった!?​
天皇誕生日は、皇位継承によって日が変わる祝日ですが、日を変えるためには、祝日法などの法改正と施行が必要です。そのため「皇位が継承された日」「法律が施行される日」「新しい天皇の誕生日」の日程によっては、天皇誕生日がない年ができてしまいます。  最近では、現在の上皇陛下(誕生日12月23日)が2019年4月30日に退位、5月1日に今上天皇(誕生日2月23日)が即位したため、2019年は1948年に祝日法が施行されて以来初めての天皇誕生日がない年となりました。  また、大正天皇の誕生日は8月31日でこの日が天長節でしたが、盛夏で祝賀式典などを行うのに適さないため、2カ月遅れの「10月31日」を天長節祝日として定め、式典などはこの日に行われました。つまり、大正時代には1年に「天長節」と「天長節祝日」という2つの天皇誕生日の祝日があったのです。
​崩御や退位後の天皇の誕生日はどうなる?​
天皇誕生日に関して、現在の祝日法(国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)と、それ以前の祝日に関する法律では大きな違いがあります。  皇位継承によって天皇誕生日が移動することは同じですが、旧法では先帝の誕生日は休日(孝明天皇祭、明治天皇祭→明治節、大正天皇祭)でしたが、現在の祝日法では、休日となるのは在位中の天皇の誕生日のみです。 また、現在の上皇陛下のように退位後存命の場合でも、その誕生日は祝日にはなりません。  ただし、歴代の天皇誕生日をみると、明治天皇の誕生日が後の「文化の日」に、昭和天皇の誕生日が後の「昭和の日」となったように、同日が別の祝日になった例はあります。
​天皇誕生日に行われる行事​
天皇誕生日には皇居で祝賀の行事が行われます。宮殿内などで行われ一般には公開されない儀式と、一般も参加できる一般参賀に分けてご紹介します。
​【一般には非公開の祝賀の儀式】​
非公開の祝賀儀式・行事には次の3つがあります。
・祝賀の儀:天皇が皇嗣(皇位継承の第一順位者)をはじめとする皇族、内閣総理大臣、衆・参両院の議長、最高裁判所長官から祝賀を受ける儀式。
 ・宴会の儀:天皇・皇后が、衆・参両院の議長・副議長・議員、内閣総理大臣・国務大臣、最高裁判所長官・判事など立法・行政・司法各機関の要人、都道府県知事、各界代表者などを招いて催す宴会で祝賀を受ける行事。皇族も列席。
・茶会の儀:天皇・皇后が各国の大使などを招いて催す茶会で、祝賀を受ける行事。皇族も列席。
​【天皇誕生日一般参賀】​
1948年4月29日から始まった、天皇が国民から祝賀を受ける行事です。当初は参賀者の記帳のみでしたが、1950年に昭和天皇・香淳皇后が参賀者の前に出られました。現在は、午前は天皇・皇后、皇族が随時宮殿のベランダに出て直接国民の祝賀を受け、午後は参賀者の記帳を受け付けます。一般参賀の詳細は宮内庁のホームページで確認することができます。(ウチコトより、)

本日天皇陛下が63歳になられました。
少し前まで12月23日が祝日でした、クリスマス時期と重なってその日にクリスマス料理をしたこともありましたが…いまだに12月23日が休みだと思ってしまう。なお、他にも2月23日は富士山の日とか。
​​​​​​
↑はてこねずし、三重県 伊勢志摩を代表する郷土料理です、あとはサラダとハムカツと台湾唐揚げですが…
なお、朝から…
​☆ハジケリスト平野レミ様が降臨☆☆​
荒ぶる平野レミ様、なんかえらいことになっている、しかし、全員須貝って何だ??そんなのシロイアレが発狂する。そっちの須貝ではないけど、

(​​​TVアニメ『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』【公式】@tenshisama_PR​​)
ʚ新ビジュアル公開ɞされていました。
今回はお互い向き合っていますね、関係が進んだ感じが出していて良いですね。
(​​​TVアニメ『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』【公式】@tenshisama_PR​)
「私、ちょっとだけ桜が好きになりました」
綺麗ですね、桜の神様といえば木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤヒメノミコト)
前に真昼さんの事を​豊受大神様の様と書きましたが、瀬織津姫とも、瀬織津姫は祓戸の神の四柱の一柱で滝や水の神様、京都 八阪神社の山鉾 鈴鹿山の御神体ございますし、瀬織津姫様がお祀りされてる神社も各地に存在します。彼女は天照大御神の荒御魂とされ、よく豊受大神や木花之佐久夜毘売とも同一視されてますし、櫛名田比売やはてまた八十禍津日神とも、貴船神社の祭神 高龗神(たかおかみのかみ)とも、他にもいますが…要は何でもアリかも、何でも結びつけるのは何とも…それは瀬織津姫は記紀では未登場で、祓戸の神としてのみ登場なのにかかわらず重要視されているから、だから記紀のどんな神様とも同じとみられがち。陰謀論や都市伝説として話すには丁度良い存在かもしれません。
ちなみに、瀬織津姫以外の祓戸神様は、速開都比売(はやあきつひめ)、気吹戸主(いぶきどぬし)、速佐須良比売(はやさすらひめ)です、大祓詞に登場する神々です、瀬織津姫以外の後の方が話題にならないのはちょっと…これらの神々は大祓詞のみにしか登場しません、ここでは大祓詞の一部を抜粋しています。
大祓詞(おおはらえことば)という祝詞(のりと)では、以上の四神を祓戸大神と言っています。  簡単に大祓詞(おおはらえことば)を訳してみます。
"ここは、天照大神の孫が平和に治める日本国。 (中略)  そこにすむみんな罪やケガレが一杯だから、  儀式の準備をちゃんとして  古くから伝わる天界の祝詞を唱えるといいよ。  1.川の瀬にいるのが清流の女神、瀬織津比売神。川から海にケガレを持ち出してくれるよ。  2.その海にいるのは、速開都比売神。河口や海底で待ち構えていてケガレを飲み込んでくれる。  3.海に風を起こす気吹戸主神が地底へそれを拭き放ってくれて、  4.地底の国に持ち込まれたケガレを速佐須良比売神が持ち去って封じ込めてしまうよ。     だから、あらゆる罪を消してもらえるから日本国には罪は残ってないんだよ"(自分で自分を幸せにする 「主婦の車窓から」より、)

恐らく時代の変化とともに必要性に応じて記紀が編纂された後に誕生してもおかしくないと思いますし、平安京に移る都は政治対立や立地のトラブルが主ですが、様々な怨念が渦巻いており棄都された事もありました。そもそも、記紀編纂が古くて後から登場して漏れてしまわれた可能性もとれますし。
この物語は最初に雨の出会い、傘を貸した事や、彼女の作る美味しそうな料理、今回は桜が関係するので、豊受大神だけでなく、木花之佐久夜毘売や瀬織津姫を連想してしまったのかもしれないですが。

↑↑は久し振りフルーツサンドをつくりました、大分落ち着いてきてイチゴも安くなってきました。

『ウマ娘』色々情報か来ましたがとりあえず、あの、オマタセシマシタが登場したと言う事で…
​「お待たせしましたジャングルポケットです。」​
ジャンポケ斎藤さんが喜びそうだ、オマタセシマシタのきゃつが実装、ネオユニバース社台馬も登場したのでこれは一歩進んだぞ。後は…アニメ化2本とツインターボ師匠が実装、星は⭐️1だか、、
アニメがキタサト主役ならマカヒキやドゥラメンテの登場は欠かせない。
『うまゆる』なんで今???雀荘、まあ、ドンジャラだか、カ○ジ…??風紀がよろしくない、メンバーがメンバーだ、ナカヤマフェスタだからな、親父もいるではないか、シンボリも、途中から『イナイレ』の技名が入ってない???しかしーー現実に『ウマ娘』ドンジャラ販売されないか?


第30回 モンスターストライクに登場した「ヤクモ」の八雲について。
今回の第30回 モンスターストライクに登場した「ヤクモ」の八雲について紹介します、前回紹介したではないか?と思いますが、概念としての和歌を紹介しました。今回は本編として紹介します。第29回目は十日恵比寿の恵比寿神について紹介をしました、中は『モンスターストライク』×スーパーカップのコラボ モンスターと一人”えびす”ですが、なかなか出るまで大変でした、モデルは諸説あり、主に事代主命と蛭児命の両説があります。もしも、今後、今年スーパーカップとの三度コラボするならヤクモが登場するかもしれません。
​​​​​​​​​​​
(​モンスターストライク公式(モンスト)@monst_mixi​)
2023年 初の限定ヤクモ新登場
新しい年が始まりました。
お正月恒例の一つといえば、『モンスターストライク』に新年を祝って新モンスターが登場することです。今年は新たに「ヤクモ」が登場しました。
概要:「新春超・獣神祭」は新限定キャラクターとして「ヤクモ」が2通りの獣神化で登場します。
ここに注目:新年の目玉となる新登場の「ヤクモ」。今年の顔ともいえる新年モンスターにこのキャラクターが選ばれた理由を開発チームに聞きました。
「ヤクモは、スサノオとクシナダの血を引く少女です。ヤクモの設定イラストにはスサノオ、クシナダの要素を色々取り入れています。二人はどちらもリリース初期から登場しているキャラクターで、特にクシナダは『モンスターストライク』の一時代を築いた印象深いキャラクターです。ヤクモの設定には『受け継がれる想い、悲しみに負けない見えない絆』というメッセージが込められていますが、スサノオ・クシナダの要素を入れることで、これまでの『モンスターストライク』を大事にしつつも、新しい時代を切り拓てほしいという願いを込めて、区切りである新春にリリースを決めました。またヤクモのモチーフは、日本神話にて、スサノオが詠んだとされる『八雲立つ』からはじまる和歌になります。『モンスターストライク』オリジナル要素を追加してキャラクターを作り上げました。」
2通の獣神化する「ヤクモ」はそれぞれ異なるスキルを持っています。
獣神化後の「ヤクモ:大荒神武装」は新しい友情コンボである「ハイプラズマ」を所持し、広範囲にダメージを狙えます。さらに新しいアビリティの「ウォールブースト」も持ち、触れた壁面数に応じてパワーを上昇させて友情コンボ以外のダメージを狙えます。も一つの獣神化「ヤクモ:巫女姫霊装」は、砲撃型では初めての実装となる友情コンボ「ルミナスレイ」を所持し、アビリティには「友情ブースト」と「弱点キラーM」を所持することで友情コンボで大ダメージを狙えます。(公式HPより、)

だいぶ遅くなってしまいましたね紹介が、ヤクモはスサノオとクシナダの娘とあります、年末年始の僅かな日数なのにCMをアニメして、なかなか贅沢に感じました。スサノオもクシナダも声優ついてるな、ぶっちゃけ、「ウォールブースト」という触れた壁面数に応じてパワーを上昇させてダメージとありますが、それが当初は発動しないというトラブルがありました。まあ、あまりやり過ぎるとチートキャラすぎてゲームバンスが壊れるからね。しかし、ヤクモはそれを軽く超える程の大人気のキャラクターになりましたが。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
ヤクモの答えは、須佐之男命が詠んだ和歌、↑↑↑日本最初?の和歌とされ、今で言うクシナダヒメへのラブレター💌、いや、ラブソング💕でしょうか、「ラムのラブソング」じゃないですが…しかし、この獣神化前のヤクモはカエル🐸の様に見える、特に須佐神社で出会った蛙に。なお、古代と言っていた人がいたが、正確には平安時代期後期から鎌倉時代の格好をアレンジしたものでしょう、『鎌倉殿の13人』を見ればだいたいイメージがつくと思います、それほど古くはない。ちなみに大荒神武装はスサノオ装備で、巫女姫霊装はクシナダ装備ですね。

和歌
八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を 日本初の和歌の意味
2023年2月11日
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
この歌は、日本て最初の短歌と言われています。何だがとても意外な歌だとは思いませんか。そもそもなぜ、「八重垣」が三度も繰り返されるのでしょうか。その秘密を解き明かしてましょう。
日本発最古の和歌・短歌
日本の和歌の最初の歌、短歌の作りはじめのものとかんがえられるのが、後の歌です。作者はスサノオノミコト。
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
読み:やつもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを
作者:須佐之男命(すさのおのみこと)
意味:八重垣立つ出雲の国を幾重にもとりまわしている雲ではないが、かわいい妻を籠らせるために、家の周りに幾重にも囲いを作るよ、その八重の囲いよ。
「八雲立つ」の和歌の解説
この歌は興味深いことに、日本最古の「古事記」の中にでてくる歌なのです。その物語とはどんな内容だったのでしょうか。
古事記の物語
「古事記」の中では、須佐之男命が出雲の「ひめ川」のほとりで、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して、奇稲田姫(くしなだひめ)の危機を救ったという物語があり、これはその中の歌となります。その時ふたりが籠る宮殿のための土地を求めて、須我(すが)というところに来て、「吾がここにきて、我が御心すがすがし」と言われて、そこに宮を作られた。その時、そこから雲が立ち上がったので、この歌を作った、といういわれがついています。
「八雲立つ」は祝婚歌の一つ
この歌、雲が幾重もの垣のように、国原を取り囲んでいることを讃嘆し、それを自分たちへの結婚の祝福のしるしとして受け取っているというものです。昔は結婚に先立って、新居の家を作り、その家が出来上がった祝いの席上で、新室寿(にいむろことほぎ)の歌が、新婚者たちの幸福を祈る意味をこめながら歌われました。
「八雲立つ」は祝婚の歌
この歌は、そのような場合の宴会の歌として、新婚の儀礼にしばしば詠われたものとされています。
「八重垣 やえがき」の繰り返し
調べが滑らかで、快いリズムを作るために、「八重垣」が三度繰り返されているのも、「八雲 やくも」「出雲 いづも」「八重垣 やえがき」の韻も、実際に謠いとして歌うために、そのように作らたのです。
枕詞「八雲立つ」
「八雲立つ」は枕詞で、出雲という言葉を修飾する褒め言葉です。
「八重垣を作る」は結婚のこと
内容の大切なところは新妻と籠るための、4句「八重垣を作る」というところだけで、それがすなわち結婚を表すことです。上句の「八雲立つ」「八重垣を作る」というのは、4句を言うための美しい雰囲気を作る言葉、その調子を取るための箇所となっています。「垣」というのは、この場合家の内外に幾重にも取りまわしている、垣根や壁や扉のことですが、それらが幾重にも重なったさまを言って、建物の荘厳さをたたえています。その垣の内に男女が籠る寝所が、神聖な場所であるからです。ここでは、参集した人たちが、この歌を歌うことによって、その寝所に練る新婚者たちを祝福する意味合いがあったのでしょう。「やえがき」が繰り返されて、幾重にも幾重にもという終わりなさが「八重垣を」という余韻を持つ結句にも示されているようです。
「歌」としての音楽的な要素
現在の短歌のように文字として読むのではなく、この頃の和歌は、実際にも「歌」として声に出して歌うためのものであったので、音楽的な要素がまさっています。当時は今とい違って、ひとつひとつの言葉や句をもっと時間をかけて、発生しましたので、声を長く引いたゆったりとした調子で歌われていたと思われます。単純ながら華麗なイメージ、また歓喜を表すリズムーー日本最初の和歌は、長い年月の結婚と言う儀式の旅に何度も繰り返されて詠われてき歌謡として、今のこの時まで伝えられてきて、今も私たちが目にすることができるものとして残っているのです。
古今集の仮名序にもある和歌
古今和歌集の紀貫之の書いた序文「仮名序」にもこの歌のことがでてきます。その部分を現代語訳として、引いてみましょう。
この歌はというのは天地開闢(てんちかいびゃく)の時から発生したのであった。「八雲立つ」は天の浮橋の下で夫婦の神となられたことを言った歌である。地上においては、短歌は須佐之男命(スサノオノミコト)より確立したものである。神代には歌の文字数も一定せず素朴すぎて、読まれた言葉の真意が分かりにくかったらしい。人の代となって、この須佐之男命からは31文の歌を詠んだのであった。須佐之男命は天照大神(アマテラスオオカミ)の兄である。女と結婚しようとして、出雲の国に宮殿を造営なさる時に、その所に八色の雲が立つのを見てお読みになった歌である。ーー「古今和歌集」仮名序より
この「八雲立つ」の歌は、古くからそのようにして「天地が始まった時」に詠まれた歌として、今に至るまでずっと伝わっている歌なのです。
まとめ、

「八雲立つ」の歌は、現代の短歌に慣れてしまうと、あまりにもシンプルで、しかも繰り返しばかりで内容がないように思われてしまいますが、そうではなくて、これはつまり、歌の歌詞であったわけです。
昔は今とでは、和歌や短歌の目的や用途が違っており、皆で唱和した謡いの歌というのは、万葉集の中にもみられます。この歌もぜひ一度は口に出して歌いなが味わってみてくださいね。(短歌のこと 光ことば、言葉のひかりより、)


やはりラブソングでした、だから”ヤクモ”は概念、他に八雲立つの説明がありましたがこれが一番わかりやすかった、まあ、書いた人の癖が反映されるので、説明が飛び過ぎてなんじゃこりゃというものも。
が、しかし、まて、まて、まてぃ、須佐之男命が兄、諸説ありだか、それはゼウスがハーデースやポセイドンの兄と言うのと同じか、実際はゼウスは末っ子だが…その辺ギリシャ神話で諸説別れる。そもそも、昔は同時期に生まれた場合は後から生まれた方が長男としたらしい、そう考えると『鬼滅の刃』の巌勝と緑壱は現在ならば逆だった可能性も。しかし、神代には歌の文字数も一定せず素朴すぎて、読まれた言葉の真意が分かりにくかったらしい。人の代となって、この須佐之男命からは31文の歌を詠んだのであった。という事は編纂者に脚色されたという事だよな、よくある事だが、そもそも編纂者によって造られたとも見ても取れる。

(​モンスターストライク公式(モンスト)@monst_mixi​)
それでは実際、ヤクモのモデルは誰なのか、
答えは明確で八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)です、スサノオとクシナダの子供で、須賀の宮を建て、歌を詠んで最初に生まれた子供がモデルでしょう。八島士奴美神とは、多くの島々の美しい神と言う意味です、年末年始の『モンスターストライク』のCMではしっかり島が登場していましたし、ただ、その名前では呼びにくいので”ヤクモ”にしたのかもしれません。正、元の八島士奴美神は男神です、八島士奴美神から大国主神まで系統が続きます。まあ、『モンスト』ではキャラが女体化する事が多々あるので、元は男神が女神として登場する事も珍しくはないでしょう。
八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)
「古事記」にみえる神。須佐之男命(素戔嗚尊)(すさのおのみこと)の子で,母は櫛名田比売(くしなだひめ)(奇稲田姫(くしいなだひめ))。木花知流比売(このはなちるひめ)を妻にむかえ,布波能母遅久奴須奴(ふはのもじくぬすぬの)神をもうけた。(デジタル版 日本人名大辞典より、)

八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)は、日本神話に登場する神。
概要
『古事記』において、八島士奴美神から遠津山岬多良斯神まで十五柱を指す十七世神(とおまりななよのかみ)の初代とされる。須佐之男命の子である国津神。 大年神や宇迦之御魂神の異母兄にあたる。『日本書紀』においては「清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠」(すがのゆやまぬしみなさるひこやしましの)、「清之繁名坂軽彦八嶋手命」(すがのゆいなさかかるひこやしまでのみこと)、「清之湯山主三名狭漏彦八嶋野」(すがのゆやまぬしみなさるひこやしまの)などの名称で記述されている。『先代旧事本紀』では八島士奴美神の別名を大己貴神とし、粟鹿神社の書物『粟鹿大明神元記』では蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴(そがのゆやまぬしみなさむるひこやしましぬ)と記述されている。「八島」は「多くの島々」、「士」は「知」(領有する)、「奴」は「主」、「美」は「神霊」と解し、名義は「多くの島々を領有する主の神霊」と考えられる。
系譜
伊邪那岐命の子須佐之男命が、大山津見神の子の手名椎・足名椎の娘である櫛名田比売を娶って生んだ子で、大山津見神の娘木花知流比売を娶って布波能母遅久奴須奴神を生んだ。(ウィキペディアより、)

八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)
まとめ
・スサノオと櫛名田比売(クシナダヒメ)の子。、・大山津見神(オオヤマヅミノカミ)の娘の木花知流比売(コノハナチルヒメ)を娶る。、・布波能母遅久奴須奴神(フハノモヂクヌスヌノカミ)が子。、・古事記にしか登場しない。
八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)は古事記でスサノオが櫛名田比売(クシナダヒメ)を娶って産んだ子。八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)は大山津見神(オオヤマヅミノカミ)の娘の木花知流比売(コノハナチルヒメ)を娶って、布波能母遅久奴須奴神(フハノモヂクヌスヌノカミ)という子を産んでいます。これからも世代は続きます。古事記にはその系譜が書かれているのですが、日本書紀では省力されていて、この系譜の5世孫とか6世孫がオオクニヌシ(大国主)と書かれています。古事記にしか登場しません。
日本書紀では省略されていますが、省略されているだけだと思います。日本書紀は古事記で三分の一を占める出雲神話をどー考えても簡略化しています。この辺りは、古事記と日本書紀では神話の系統が違うか、編纂の意図が違うかなんでしょうね。
須賀の宮の子供達
スサノオが櫛名田比売(クシナダヒメ)と交わって生んだ神様の名前は八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)といいます。
八島士奴美神の系譜
兄の八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)は大山津見神(オオヤマヅミノカミ)の娘の木花知流比売(コノハナチルヒメ)を娶って産んだ子が、布波能母遅久奴須奴神(フハノモヂクヌスヌノカミ)です。(日本神話・神社まとめより、)


須佐神社の社伝や伝説では、須佐神社の宮司が八島士奴美神からの子孫とされてはいます、一応、ヤクモ???からの子孫はいるのですね。
須佐神社より、「出雲国風土記」に「須佐社」と記載されています。 古来スサノヲノミコトの本宮とされていました。 社家の須佐氏は、スサノヲノミコトの子の八島士奴美神(ヤシマシヌミノカミ)を祖とすると伝えられています。
「延喜式神名帳」に「須佐神社」と記載され、国幣小社に列しています。中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世には「須佐大宮」と称し、その大きさが感じられます。明治4年(1871年)に延喜式に記載される「須佐神社」に改称しました。

神話や伝説は物語の様なものですから、そうゆう風にとらえましょう。

第30回 モンスターストライクに登場した「ヤクモ」の八雲についてでした。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024年01月20日 20時56分40秒
コメント(0) | コメントを書く
[ご祭神、神社等のいわれ] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X